第十章  弱い男と強い女と強い男

「正太郎さん?昨日は失礼なことを言ってしまってごめんなさい。怒ってる?」
魔女のような表情で怒っていた美香が嘘のように変わっている。
しかし正太郎は、まだ子供だった。
人間が喜怒哀楽を顕している時が、その人間の一番の本性が出ている時で、甘い言葉を吐いている時は、まったく心にも無いことを嘯いている時であることは、大人なら解っているはずだ。
横で聞いていた正二郎は、美香の心理を読み抜いていた。
「こんな女なんかの人生は破壊してしまう方が世の中の為だ!」
心の中で叫んでいる正二郎に、どう返事していいか判らない正太郎は助けを求めてきた。
「デートに誘い出すんだ!」
メモを正太郎に手渡した。
「あのう、今度デートしませんか?」
正二郎は兄の男らしくない態度に呆れて苦笑していた。
「ええ、もちろん。喜んで。いつがいいかしら?」
受話器に耳をつけながら正二郎は美香のしらじらしい返事に、ますます怒りがこみあげてくるのを我慢して、すぐにメモを正太郎に渡した。
「明日、午後1時に僕の家でどうですか?僕の家の場所は知っているでしょう」
少し迷っている様子だったのを察知した正二郎は、すぐさまメモを渡した。
「あのう高校1年生の弟と一緒にゲームでもしませんか?」
その一言で警戒心を解いた美香は、承諾した。
「わかりました。明日午後1時に伺います。じゃあね」
電話を切った正太郎は、大きく溜息をついた。
よほど神経が疲れたのだ。
「明日、彼女をここに呼んでどうするんだ?」
正太郎は、正二郎に意のままになっていた。
「もちろん、さっき言ったように、三人でゲームをするんだよ」
それを聞いた正太郎はホッとしていた。
「何て根性の無い兄貴なんだろう」
弟の正二郎も呆れてホッと息をついたが、彼の息は明日へのエネルギー爆発前の噴煙だった。
「ピンポン」
門のチャイムが鳴った。
「はい。美香さん?」
正太郎は、朝からいそいそするばかりで落ち着かないでいた。
昼食もほとんど喉を通らない。
「正太郎、どうしてお昼ごはんを食べないの。わたしは、もう出かけるから、お腹が空いても知らないわよ」
母親の栄子が着物姿の上にエプロンをして言った。
「今日は、お手伝いさんも休みだから・・・」
栄子がいくら言っても、喉を通らないものは仕方がない。
「それじゃ、わたしは出かけるから、正二郎とお留守番お願いね」
そう言って栄子は待たせてあったタクシーに乗っていそいそと出かけて行った、直後に美香がやって来たのだ。
玄関のドアを蹴るようにして門の方に走って行った正太郎のうしろ姿を見て、「弱い男は、強い女よりも醜いなあ」
正二郎の心に少し本音が出た瞬間だった。
「お邪魔します!」
わざと大きな声で言った美香を玄関ホールで迎えた正二郎の姿を見た美香は、唖然とした。
『これが高校1年生の男の子?』
我が目を疑いたくなるほど、普通の大人よりも体格が立派で、顔の表情も、とうてい少年だとは思えない正二郎を見て、喜びと不安の気持ちが交錯しているのだった。
美香の表情を察した正二郎は、わざと子供っぽく振舞った。
「こんちわ!僕、正太郎兄さんの弟で正二郎といいます。今日は一緒にゲームで遊んでくれるんだって?ありがとう」
子供っぽい喋り方に、今度は落胆と安心の気持ちが交錯して、その都度表情が変わる美香を見て、正二郎は既にゲームを開始していたが、正太郎は、ただにこにこしているだけだった。
この時点で、既に、家には一人の男と一人の女しかいなかった。
正二郎は、自分たちの部屋に連れて行かずに、リビングルームにあるテレビのスィッチを押しに行った。
美香の警戒心はこれで完全に解けた。
「テレビゲームだよ。いいでしょう?」
正二郎は美香に向かって言った。
「いいわよ。それで勝ち負けがあるの?」
美香の言葉で、正二郎は思った。
「この女はなかなかの玉だ!」
心の中で吐き捨てるように言った時、正二郎は獣に豹変していた。
「もちろんあるさ。お姉さん、負けたら何してくれる?」
正二郎の子供っぽい喋り方で、完全にペースに引き込まれた美香は知らず知らずの内に大胆になっていった。
「そうね、お姉さんが、正二郎ちゃんにキスしてあげるわ。それでいい?」
「うわあ、嬉しいな、こんな綺麗なお姉さんにキスしてもらうなんて。じゃあ僕が負けたら何をしたらいいの?」
美香の表情が急に醜い大人に変わっていた。
「そうね。わたしにもキスして頂戴!いいでしょう?」
内心で、『この売女!』と叫んでいた正二郎だったが、ポーカーフェースで、「ああいいよ!」と答えた。
「正太郎さんは、ゲームに参加しないの?」
傍にいることさえ自分自身忘れていた正太郎だったが、美香の言葉で、ふと我に帰った。
「このゲームは二人でしか出来ないんだ。正太郎兄さんが先にやる?」
正太郎の方を向いて正二郎は言ったが、答えはわかっていた。
「このゲーム僕知らないんだ」
「じゃあ、お姉さんと僕とでやろうよ」
甘えるような口調で言われた美香は、喜んで頷いた。
最初の内は、交互に勝ったり負けたりのゲームで、お互いにそっと唇に触れる程度のものだったが、その内に正二郎が勝ち続けていった。
徐々に正二郎の獣性が顕れてきた。
正二郎の体の動かし方が変わっていくのに、気づかず美香は呆然となりかけていたが、ふと我に帰った。
「もうこの辺で止めましょう!」
強い口調に変わった美香の表情を見た正二郎は、『この女は、いま流の強い女だ!今日はここまでだ!』
内心呟いて、言った。
「うんそうだね。次は正太郎兄さんとゲームしたら?」
さっきとは打って変わって子供の態度に変わった、正二郎の顔をまじまじと見た美香は戦慄を覚えた。
「もうわたし、用事思いだしたから、帰るわ」
そう言って、リビングルームのドアーを自分で開けてさっさと玄関に出て行った。
うしろから追いかけていった正太郎に、「弟さん、とてもかわいい少年ね。また出直して来るわ」
正太郎に吐き捨てるように言って、美香は帰ってしまった。
門の前で呆然と立っている正太郎を、家の中から眺めている正二郎と、車のバックミラーから眺めている美香がいた。