第十一章  強い女の反撃

自分の弱さに比べて、正二郎の強さは、それがたとえ悪意であっても、正太郎には羨ましいものに見えた。
東京大学受験の時に、自分のした行為は、天をも恐れぬ大胆な行為であったにも拘らず、異性に対しては、まるで蟻一匹殺すことも出来ない程の臆病さを露呈してしまった正太郎は、自分の内面に、いくら否定しても、消し去ることの出来ない善性を具えていることに気づくべきだった。
一方、正二郎は、父の一郎に見込まれて、慶応義塾大学の中等部に通っていた頃に目覚めた、人間の善性を兄の正太郎によって木っ端微塵にされてしまい、今は、自分の内面に潜む魔性に魅了されているのだった。
翌日、駒場キャンパスの芝生の広場を歩いていた正太郎に、美香から声を掛けてきた。
「宇都宮君!」
昨日まで、「正太郎君」と呼んでいた彼女が、「宇都宮君!」と話し掛けてきたことにも気がつかず、正太郎は、美香の顔を見ただけで、感激していた。
『よかった!彼女は怒っていなかった』
内心ほっとして、何かを言うべきだと思うのだが、声が出ない。
「昨日は、弟さんとゲームができて本当に楽しかったわ」
『楽しかったと言っているが、顔が引きつっている』
そう感じた正太郎だったが、美香の方から声を掛けてきてくれた嬉しさが、危機管理能力を喪失させてしまっていた。
「やあ、昨日はどうも。弟の正二郎もよろしくと言ってたよ」
美香の出立ちに正太郎が気づいていたら、もう少し危機管理をしていたかも知れなかったが、彼女の顔を見るだけで、ぼっとしてしまう正太郎には無理からぬことだった。
「ちょっと、付きあってくれない?」
『付きあって・・・と彼女が言った・・・』
正太郎の思考能力は完全に停止して、返事も出来ずに、ただ微笑んでいるだけだった。
まるで、水商売の女と勘違いするような姿の美香の後を付いて行った、正太郎は渋谷の道玄坂の辺りに数軒並んでいるホテルの看板を見上げた。
「入りましょう」
平然と言う美香も美香なら、この場所が何をする場所かも知らずに、頷きながら後をついて行く正太郎は余りにも経験不足であった。
自動ドアーが開いて、入って行った美香が、うしろからついて来る正太郎の方に向き直って言った。
「ああ、そうだわ。忘れものをしちゃった。ちょっと戻りましょう」
何が起ろうとしているのか、まったく見当もつかない正太郎は美香の為すままに従わざるを得なかった。
自動ドアーが再度開いて、外へ出たふたりに向かって、稲妻のような光りが放たれた瞬間、「パチッ。パチッ・・・」という音がした。
一瞬目の前が真っ暗になった正太郎は、美香の姿を探したが、どこに消えてしまったのか分からない。
「宇都宮大蔵大臣のご子息の正太郎さんですね?」
数人の男が、マイクのようなものを正太郎の口元に付きつけて訊いてきた。
「はい、そうですが」
正太郎は、訳もわからず返事してしまった。