焦る気持ち

「時を一年戻してみたくて電話をしました」
気障に聞こえたかも知れないが本音だから仕方ないと、比呂志は思った。
「この一年間風船を吹き続けてきました。もう破裂してもいい頃かも知れません」
比呂志の言葉に必死に応えたかった敦子だった。
「はじめのボタンを掛け間違うと、こんなに大きな犠牲を強いられるとは、この28年間の人生ではじめて味わいました。
考えてみるに、わたしは自分の人生をすべて親父の所為にする癖を持っていました。
これからわたしが誰か他の女性と結婚したとしても、そして子供ができたとしても、わたしが親父の立場になるだけのことで、わたしと同じ人生を歩む子供は不憫で仕方がありません。
自分が撒いた種ですが、種が土の中で芽を出して地上に出てくるように、種が土の中で更に根を張る生き方もあることを証明したいと思いました。
時が過去から未来へ進むなら、季(とき)が未来から過去へ進んでもいいのではないでしょうか。
穏やかな春が夏と秋を通り過ぎて今の厳しい冬になったのなら、今の厳しい冬が春と夏を通り過ぎてやがて静かな秋になることもできるのではないでしょうか。
わたしにとって今は厳しい冬でしょうが、四季がめぐり捲るなら、やがて静かな秋もやってくる筈。
敦子さんに電話のダイヤルを回した時から、わたしの時計は反対方向に回り出しました。
この時計をもう誰も止めることはできません」
台詞のない台本を比呂志は一気に空で読み上げた。
敦子は感動した。
「・・・」
言葉が出ない。
比呂志はJR徳島駅まで走り、貞光行きの鈍行電車に飛び乗った。
「車掌さん、貞光駅までどれぐらい掛かりますか?」
息を切らしながら比呂志が訊く。
「あんたそんなに急いでいなさるのか?それならこの電車に乗らない方がいいよ。自転車で走るのとそう変わらないぐらい遅いんだから・・・」
車掌の言うことはまんざら出鱈目ではなかった。
徳島から貞光までは50km足らずなのに、電車で行くと1時間半以上掛かるらしい。
JRの車掌に自転車で行った方が速いと言われてもどうすることもできない比呂志は、諦めて鈍行電車の座席に腰を下ろすと、疲れた所為かうとうと居眠りをしてしまった。
30分以上も寝入ってしまっただろうか、目を醒ました比呂志は窓外の景色を見やった。
「何だって!」
電車はまだ徳島市内を走っていた。