走る女

「ところでお前さんたちは、変わっちょるのう!」
二人は黙っている。
「ひとりは大阪からわざわざやって来て、タクシーで剣さんまで行けと言う、もうひとりは卯建(うだつ)の町に行けと言う・・・」
老人の背中が急に暖かくなって、うしろのふたりにその暖かさが伝わっていく。
「新田と言います」
大阪から来たスラッとした長身のハンサムな客が言った。
「熊谷です。無理言って申し訳ありませんでした」
何の必然性もなくただ偶然に出会った三人の間で、それぞれの人生が激しく展開していることをお互いに何も知らない。
めぐりあいの人生であり、孤独りっきりの人生でもある。
別離ればそれぞれの人生に戻り、まためぐり捲る人生との繰り返し。
会っては別れ、別れては会う。
人生とは無制限一本立て連続映画である。
途中の休憩は自由自在である故に連続性の中の無制限が続く。
タクシーの中という狭い世界の中に、三人三様の世界が繰り広げられる。
一人の世界が目を醒ました。
「お客さん、祇園小路に着いたでよ」
老運転手が比呂志に話し掛けた。
もう一人の世界も目を醒ました。
「ありがとう・・・?」
比呂志の視線と老人の視線が合った。
「わしゃ、馬子というんじゃ」
「新田さん、ありがとう」
外観においても、内面性においても、男性同士でも惚れぼれするほどの男振りが感じ取れる。
比呂志も老人も一瞬目を合わせながら言った。
タクシーを下りた比呂志は、しばし呆然とタクシーのうしろ姿を眺めていたが、我に戻り、携帯電話のダイヤルを押した。
電話の呼び出し音が一回鳴っただけで、受話器を取り上げる音がして、敦子の声が聞こえた。
「もしもし」
比呂志は一年前のことを思い出していた。
あの時も、じっと電話の相手の声を待っているのが息を切らす音でわかる。
「比呂志さん?」
今度は敦子の方から口を開いてきたが、それは二度と同じ撤を踏まないという決意の程であった。
比呂志もそのことを重々承知していた。
「いま一宇街道から長岡小路という路地に入ったところにいます」
敦子の熱い吐息が受話器の向こう側からでも聞こえてくる。
「その長岡小路を進んでいただくと、西浦通りに出ますので、そこを右に曲がって100メートルほど歩いてください。わたしはそこで待っています」
電話を切った比呂志は、長岡小路を足早に歩いて行った。
敦子が言っていた通り、西浦通りという結構大きな道に出た比呂志の足はそこで凍結した。
「敦子さん!」
比呂志めがけて走って来た敦子の目は大きな涙で溢れていた。