『なるようになるだけだ!』

「お客さん、もう我々は下りますが、はようしてください!」
巨大な宝蔵石の真下にある茶店の主人が、ふたりに大声で叫んだ。
午後5時半になると、リフトも止まるらしい。
掛け足で茶店まで戻ってきたふたりに、主人が笑いながら言った。
「こんな時間まで山頂にいるお客さんは滅多にいません・・・。剣さんは神聖な山なのですが、結構これで自殺者が多いんです・・・」
ふたりの表情がどのように映ったのか、茶店の主人は笑いながらも、その表情は引きつっていた。
西島のリフト駅に着いた時には、係員が三人を待っていた様子だった。
「はようしてください!見の越に連絡しなければなりませんから・・・」
一人ずつ乗るリフトに真先に乗ったのは敦子だった。
比呂志は、急坂を下りて行くリフトからしばらく敦子のうしろ姿を見つめていた。
『背筋の伸びた女性だったのに、少し・・・』
否定的な想いばかりが脳裏を掠める。
『心中をしようとしているカップルに見えたのだろうか・・・』
那須湿原に自殺で有名な樹林があるという。
りんどうで有名な林が剣山の山道を囲むようにあり、年に数体の遺体が発見されるらしい。
敦子のリフトが見の越に着くと数名の係員が真剣な表情で待ち受けていて、リフトから降りようとする彼女を抱き抱えようとした。
「大丈夫ですか?」
敦子は何事が起こったのか要領を得ず呆然としていたが、その後を降りてきた比呂志が敦子に耳うちした。
「どうやら僕たちは心中を図ったらしいですよ」
数名の男たちが彼女を抱き抱えようとした意味を、比呂志の言葉で理解したが、女の心理は男には到底わからないようにできている。
「わああ!」
気丈な敦子が突然声を張り上げて泣き出した。
係員の中のいかにも頑健そうな男が、突然比呂志の胸座を掴まえて言った。
「あんたまだ心中を強要するんか!」
人間の心というものは不思議にできているらしい。
思い込むとますます想いが高ぶって来る、そして高ぶる想いが肉体を突き動かす。
突き動かされた肉体がポンプになって、全身に熱い血を強烈な勢いで送り出し、五感のアンテナから熱い蒸気となって体外に吹き出される。
沸騰した蒸気を吹き掛けられた衝撃で、まわりの人間は興奮の坩堝に落されるのである。
「僕たちは心中なんかしようとしているんじゃありません!」
興奮の坩堝の中で翻弄されている彼らを説得するには、並み大抵の努力では覚束ない。
居丈高に叫ぶ比呂志の声でやっと坩堝から抜け出ることができたのか、彼らの表情が危機感から安堵感に急変した。
「そうだったのですか!」
男たちの様子を見ていた敦子も、先程まで襲われていた深刻感から、理由のわからない安堵感に変化していることに気づいた。
『なるようになるだけだ!』