止める力

敦子は、新しい運命の時が刻一刻と迫っていると思っていた。
泰隆が父親の比呂志に必ず報告するはずだと思っていたからだ。
しかし泰隆は、敦子との出来事を父に話さなかった。
幼子は大人に比べて、直感力に優れている。
博嗣のことを話すことはできても、敦子のことを話すことができなかったのも、幼子の直感力の所為であった。
不安の中に混在する期待が、ますます頭を擡げてくる。
いつしか不安の居場所がなくなるに連れて、期待が怒りに変貌しはじめる。
男女の縺れ合いがこうしてはじまる。
団子状態になった縺れを解すのは厄介である。
「近ごろ顔色が悪いことが多いが、どうしたんだ?」
夫の清重が珍しく心配そうに言った。
「いえ、どこも悪いところはありません」
『こんな返事で済むわけがない』と思いながら、どうしようもなかった。
「顔色が冴えないのは変な夢を観て以来だね・・・」
敦子は、この10年間、清重のひとつ一つの言葉に過剰なほどの神経を使い続けてきた。
『顔色が悪いと最初は言ったのに、その後では顔色が冴えないと言った・・・。悪いから冴えないと言い変えたのは何か意味がある・・・』
まさしく過剰反応であり、こういった状態が長く続くと、分裂症状が出てくる。
人間というものは、善悪の判断をすることから分裂症状に陥る。
「これは好いからしても好いが、あれは悪いからしてはいけない」
母親が子供に躾をする。
子供は好いことと悪いことの区別を学ぶ。
学ぶことが知性になり、知性は自分の一部を責めるようになる。
好いことと悪いことが自分の中の一部として混在しているからだ。
自分を責めるようになると、必ず他人をも責めるように人間はなる。
自分を愛することのできない人間は、他人を愛することができない理由はここにある。
母親の愛情を感じない子供は、自分を責めることにより、他人に対する愛情の可能性の芽を摘み取ってしまう。
ふたりが結婚した時、清重は敦子に善悪の判断を植えつけた。
以来、敦子は清重に過剰反応するようになり、自分を責めることしかできなかったのである。
清重の敦子に対する躾が意図的ではなかったが、結婚前の彼の7年間の出家生活が大きな影を投げ掛けていた。
禁欲生活をする人間ほど肉欲に責め苛まれる。
放蕩生活をする人間ほど禁欲の縄から解かれる。
出家者ほど出家中の肉欲に対する煩悩は最高潮に達する。
出家から還俗してすぐに妻帯するほど、危険なことはない。
ふたりの結婚生活は当初から歪んだものになっていた。
「まあ、気をつけなさい」
清重はそう言って、自分の部屋に入ってしまった。
清重が居間から消えていなくなると、博嗣が自分の部屋から出てきて、敦子の膝の上に乗りながら言った。
「お父さんがまたいじめるの?」
敦子は、博嗣のいじらしいほどの想いやりに、目頭が熱くなった。
「博嗣ちゃん、ごめんね!」
「ヒロシ」という名前を吐きながら、別の「ヒロシ」に想いを馳せる彼女を止めるものはもうなかった。