一転の悲劇

「医者は心配ないと言ってるんですが・・・」
博嗣は不安気に比呂志に言った。
「一旦意識が戻ったのに、もう一回意識を失ったのが心配だなあ!」
博嗣から電話を受けた比呂志は走って病院に駆けつけてきた所為か、顔面蒼白になっていた。
「一体何が起こったのかね?」
泰隆と博嗣が何故一緒にいるのか、比呂志には合点が行かないのだ。
「泰隆と彼の友達が難波駅を降りたところでチンピラに絡まれ、そこに僕が偶然通り掛かっただけのことですよ」
比呂志は石井一から敦子の息子の博嗣が極道の道に入ること、そして母の敦子もそのことに同意していることを聞かされていた。
石井一の名前は徳島の極道の世界のみならず大阪でも通っている。
極道の道に入るに及んで、石井は博嗣にひとつだけ注文を付けていた。
「お前は徳島で極道を張ったらあかん!平家の血を汚すことは間違いあれへん・・・・・・・・そやから大阪へ行け!」
「大阪」という言葉に懐かしい響きを感じたのは博嗣だけではなく、石井も同じ感情を持っていた。
懐かしさの対象はお互い違っていたが、ふたりをめぐり合わせる共通のものを持っていたからだ。
博嗣の身を預かったのは難波に事務所を置く上田組で組長を張っている上田春正だった。
上田は石井の弟分であり、法政大学の後輩でもあった。
上田には大輔という今年和歌山大学の一年生になった息子がいる。
極道の世界に身を置いている父親ゆえに、目に入れても痛くないぐらいかわいがっている息子の身を案じて、石井から頼まれた博嗣の最初のお勤めとして大輔のボディーガードを命じていた、その矢先での今回の事件だった。
博嗣が極道の世界に身を投じていたことは知っていても、大阪に来ているとは夢にも思っていなかったし、息子の泰隆と同じ大学の同級生に、博嗣が身を寄せている組の息子がいたとは、人生は皮肉なものである。
大輔が襲われ、泰隆は不運にも巻き込まれてしまったのである。
比呂志は事情を飲み込むことができ、習い姓になっている警戒心をやっと解きはじめた。
『この子に対してでも、警戒心を持っている自分は、一体何者だろう?』
『やはり10年という年月がつくった心の垢かも知れない?』
冬のすきま風が心臓を凍てつかせるような針となって、比呂志の心に突き刺さったたような気分になった。
『皮肉と言ったらいいのか、自業自得と言ったらいいのか、罪の報いと言ったらいいのか・・・・』
いろいろな想いが去来する中で、ひたすら『今、ここ』にいようと頑張る自分がいじらしく思えるのが可笑しかった。
胸の中で手を合わせる自分にも可笑しさを感じた。
二十歳にも満たない二人の若者に囲まれて、比呂志はつい郷愁の想いに駆られるのだった。
「泰隆が大輔ぼっちゃんの友達だったなんて、びっくりしましたよ!」
若い博嗣が、人生のめぐりあいの可笑しさに呆然とするのも無理はない。
「ガチャッ!」
ドアーが開く音がして、二人の看護婦が泰隆の部屋から飛び出して来た。
比呂志は現実の世界という冷や水を掛けられ、郷愁の念から醒まさせられたような気分になった。
「容態が急変したんです!」
ひとりの看護婦がふたりに吐き捨てるように言った。
比呂志は余りの事態の深刻さに嘔吐しそうになった。