群青の空

「ギィー!」
強烈な金属の摩擦音が舞浦駅構内に響き渡った。
比呂志はプラットホームを降りて車両の先頭に向かって走った。
『神さま!どうか・・・・神さま!』
無意識のうちに叫んでいた。
『不幸な出来事は重なる』と恰も偶然の事故のように言われるが、人間が出遭う出来事には必ず理由があり、その理由は他でもない自分でつくっただけのことである。
自業自得とはよく言ったものだ。
挫折が因果で憧れは応報と言うなら、憧れが因果で挫折が応報とも言えるのが人生というものであろうか。
前者が人生の成功者と言うなら、後者が失敗者と言うのであろうか、それとも後者が人生の成功者であり、前者が失敗者と言う世間もある。
比呂志は知らず知らずのうちに未だ一度も口走ったことのない、『神』という言葉を発していた。
しかも、助けを求めているのだ。
電車の窓から見た礼子の表情は、紛れもなく比呂志を迎えに来た喜びのものであった。
『そう信じたい!』
空しい叫びの余韻が延々と胸の中で鳴り響いている。
しかし時間は誰にも、非情に、平等に与えて行く。
プラットホームに集まる人だかりを跳ねのけ先頭の列車の前に出ると、レールの上に倒れている礼子の姿が見えた。
全身から力が抜けていくのがわかる。
『だめだ!ここで挫けてはだめだ!』
火事場の馬鹿力とはよく言ったものだ。
気を取り戻した瞬間(とき)には、線路の下で礼子を抱き上げていた。
「礼子!」
舞浦駅に響き渡るのではないかと思われるような叫び声だった。
比呂志の叫び声に呼応するかのように、礼子は気を取り戻した。
「あなた!」
礼子はひとこと言うと、微笑ながら息を引き取った。
「礼子!」
絞り出すような悲痛な叫びだった。
礼子は一言「あなた!」と言って微笑んだ。
彼女の意図したものが何であったのか今となっては誰もわからない。
受け取る側の想い次第であり、想いが思索になり、それがそれぞれの真実だと言えるなら、真実は無数にある。
歴史の真実は唯一つのように言われるが、これほど滑稽なことはない。
真実は無数にあるのだ。
悪人扱いされた歴史上の人物にも善人としての言聞がある。
英雄扱いされた歴史上の人物にも悪人としての風聞がある。
礼子が最後に言った「あなた!」と微笑は、自分に対する愛情の表現であったと確信を持つことが、今の比呂志ができ得る礼子への花向けであった。
一気に妻と一人息子を失ったのだ。
少年時代に想った大人への憧れが因果となり、現実の大人の挫折が応報となって帰結することだけを受け入れるしかない。
舞浦駅のプラットホームで呆然と立ちつくす比呂志。
そのまわりには雑踏とも言えるほど多くの人たちが屯する。
現実とはこの光景を言うのか、それなら現実とは余りにも残酷だと言わざるを得ない。
それともそれぞれの人たちだけにある光景を言うのか、それなら現実を受け入れて生きて行くこともできる。
『待っていてくれ、すぐに帰る!』
比呂志は冬の沈みかけた群青の空を仰ぎながら心の中で呟いた。