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Chapter 116 ゴールの見えないわたしたち わたしたちは、一体何を求めて生きているのでしょうか。 それとも、ただ生きているだけでしょうか。 それを知っているのは、自分自身だけの筈ですが、その肝心の自分が一体何なのかもわかっていないのですから、生きるのはとても厄介なものになることは当然です。 自分が何を考え、そして行動しているのか、それさえわからずに生きている人たちが殆どと言っていいでしょう。 わたしたちは、瞬間の連続の中でしか生きることができません。 走っている電車の中で、止っている自分がいる。 しかし、相対的には、電車と同じ速度で自分も走っているのです。 走っている電車の中で止った感覚でいる、このことこそ瞬間の連続の中で生きることに外なりません。 しかし、わたしたちは、止った感覚だけでいるから、瞬間の連続、つまり、『今、ここ』にいることができないのです。 確かに自分は電車の中で止った感覚でいるが、車窓から外の景色を見ると、景色が走っているように見えます。 しかし外の景色は走ってなどいません。 そこで、走っているのは自分だったと気がつくのです。 つまり外の景色と自分との関係を相対的に見ることができてはじめて、実態を知ることができるのです。 自己客観視とは、まさにこの状況を言っているのです。 『今、ここ』に生きるとは、自己客観視できている状態を言っているのです。 わたしたちは、瞬間の連続の中でしか生きることができないのは、時速10万8000km、音速の100倍というもの凄い速度で走っている地球号という電車に乗っているからです。 新幹線で時速300km程度ですから、如何にすごいスピードで走っているか想像できるでしょう。 しかし、わたしたちにとって、地球も自分たちも止っている感覚なのです。 遠く離れたところから、地球を見ると、コマがグルグル回っているように見えるのですが、つまり車窓から外の景色を見ているのと同じなのです。 しかし、地球の上にいるわたしたちは止っているような感覚でいるわけです。 つまり、自分が何を考え、そして行動しているのか、それさえわからずに生きている人たちの感覚であるのです。 どんなものでも動いているものは、必ずゴールがあります。 ただ、その動きが円運動である故に、無限運動しているように錯覚します。 何度も何度も、ゴールを通過していることに気がつかないでいるのです。 自分が何を考え、そして行動しているのかを客観的に見ることがとても大事なことであるのです。 |