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Chapter 118 目に見えない固有の影 わたしたち地球上に存在するものにはすべて影が映ります。 もちろん光の結果であることは言うまでもありません。 他の惑星にいても太陽から光が到達する限りは、影が映るのですが、問題は影の形が大きく違うことです。 光と暗闇は二律背反するものです。つまり光の不在が暗闇の実体であり、光は暗闇の不在とも言えるわけで、光と暗闇が同時に存在することは有り得ないのです。 これは、光が実体のあるものだから、言えるのです。 わたしたちが住んでいる宇宙の果ては、どうなっているのか。 これは永遠の謎で、人知の及ばない世界の話であるのですが、わたしは、「神はすぐ傍」という作品で、「静止と暗闇と沈黙の世界」だと申しました。 つまり、わたしたちの宇宙は、「運動と光と喧騒の世界」であるのに対して、「静止と暗闇と沈黙の世界」は二律背反する関係にあるのです。 物質と反物質の関係と言ってもいいでしょう。 従って、光が実体あるものとして捉えている、わたしたちの宇宙では、暗闇は光の不在だと言えるのでしょう。 つまり光の無い所が暗闇で、一点の灯りによって暗闇は消滅してしまうのが、わたしたちの宇宙であるのです。 ところが、光のある所には影が必ず付き纏います。 影も暗闇の一種であるのですが、影と光とは二律背反の関係ではなくて、二律迎合−これはわたしの造語です−とでも言うのでしょうか、お互いなくてはならない関係であるのです。 わたしたちが夢を観ている状態と、目が醒めている状態−厳密には意識が醒めている状態を言うのですが−がちょうど光と影の関係と同じであると言えます。 二律背反が本質であるのに、二律迎合の関係でもあるのです。 目が醒めると夢は消え、夢を観るということは眠っている、とわたしたちが思っているのですから、目が醒めていることと夢とは二律背反関係にあるわけです。 しかし、わたしたちは、目が醒めても四六時中夢を観ていて、眠っている間中もずっと夢を観ているとするなら、これは二律迎合関係にあることになります。 つまり光と暗闇の関係か、光と影の関係かの違いということになるわけです。 わたしたちは目に見えない暗闇に怯えて生きているから、四苦八苦の人生になるわけで、それは光と暗闇の関係ではなく、まさに光と影の関係の如く、常に付き纏っているように思えます。 生きている限り四苦八苦の人生であり、死なないと四苦八苦から解放されないように思っている節が、わたしたちの意識にはあります。 だから人間世界には、自殺する人がいるのです。 他の動物には、自殺の観念はありません。 まさに、二律迎合のように思っているのです。 死んで肉体が消滅しない限り、自分の影に追われ続けるのです。 しかし他方では、暗闇を消すには、光を注入することだという二律背反的な考え方もあります。 一体どちらが真理なのか、ここにわたしたちの人生四苦八苦に対する回答があるように思えてなりません。 そこで話は最初に戻りますが、この影というもの、光の照射条件で長くなったり短くなったりします。 月に行くだけで、自分の影がものすごく長くなったり短くなったりします。 そうすると、わたしたちの影の大きさも地球固有のものであることがわかってきます。 実は、わたしたちは自分固有の影を持っているのです。 それを発見することが、楽しい人生の旅への第一歩であるように思うのです。 |