Chapter 201 感情を忘れた人間

他の生き物を見ていて、彼らに心があると思えるでしょうか。
ペットの犬を見ていると、飼い主から呼ばれると、尻尾を振って喜んでいますし、飼い主とわかれる時、悲しい表情をします。
だから、彼らにも心があると考えられる。
しかし、彼らのこういった表情は心がその源泉にあるのではなくて、感情が源泉なのです。
感情は、反射神経的に作動する記憶のことを言います。
知性・理性というものは、大脳にある新皮質経由で運動を司る小脳に伝達されますが、感情は新皮質経由ではなく、古皮質経由で小脳に伝達される。
新皮質は人間だけにあるもので、理性、知性つまり判断機能を持ったもので、ここで蓄積された記憶が物差しになっていて、小脳に伝達していいものかどうかを判断するのです。
古皮質に蓄積されている記憶は本能や感情的なもので、一切の判断なしに自動的(反射神経的)に小脳に伝達され、小脳から身体の各器官に命令が行き、行動という形になるわけです。
Mentalなものなど、わたしたちには無いと申しました。
わたしたちが心と言っているものは、ただ目に見えないが故に未知なものになっているものに過ぎない。
未知なものと既知なものの判断をするのが、新皮質の知性であるのですから、これは感情ではない。
セックスという行為、殺すという行為を善悪で判断するわたしたち人間は、知性・理性を源泉にしていることは確かであります。
だから人殺しやレイプは犯罪になっているのです。
他の生き物の世界では、殺しやレイプは罪になりません。
セックスを考えればよくわかる筈です。
わたしたちはセックスを始めると動物的になるとよく言います。
動物的ということは、動物ではないということに外なりません。
しかし、本来のセックスという行為は本能が源泉、つまり古皮質に記憶されている本能的行為なのです。
つまり肉体の要求による行為であって、知性や理性が要求する行為ではありません。
しかし、わたしたち人間のセックスは本能的行為ではなく、理性的行為になってしまっているのです。
だから年がら年中セックスをしているのです。
年がら年中セックスをするような生き物は人間だけです。
無我夢中になれないから、性エネルギーを完全燃焼できず、結果年がら年中セックスに耽る悪循環に陥っている。
宗教は、そこの弱みにつけこんで、禁欲生活を唱導する。
他の生き物は、交尾のシーズンだけしかセックスをしません。
それは肉体の要求に従っているからです。
他の生き物が喜んだり悲しんだりするのは、セックスをするのと同じレベルでの感情表現であるのです。
人間が喜んだり悲しんだりするのも、セックスをするのと同じレベルでの理性・知性表現であるのです。
嬉しい、悲しいと言った感情表現を以って、わたしたちは心の存在としている。
しかし、わたしたちの喜怒哀楽表現は感情表現ではなくて、飽くまで理性・知性表現であるのです。
わたしたち人間の喜怒哀楽表現を以って心の存在とするなら、他の生き物の喜怒哀楽表現は心からのものではないことになります。
しかし、彼らの表現こそ感情的であるのですから、彼らこそ心を持っていると言った方が正しいのではないでしょうか。
そうすると、わたしたち人間だけが心を持っていないことになるわけです。
わたしたちも動物の一種ですから本能を持っているのですが、本能を反射神経的に出すことを忘れてしまった。
本能を反射神経的に出さずに理性・知性という物差しで以って判断してからでないと行為に移せなくなったのが、人間の人間たる所以であるのです。
そして、理性・知性で以っても未だに知らないもの、目に見えないものを、心という領域を創って一括りしておるだけのことではないでしょうか。
他の生き物は感情表現をするのに、人間は感情表現できない。
ところが感情表現できない人間が心を持つ。
何とも納得できない話です。
心など、もともと無いもの。
あるのは感情だけであって、それすら忘れてしまったわたしたち。
心の復活などと偉そうなことを言う前に、先ず感情の復活をしなければならないのがわたしたち人間であります。
人殺しをしても、レイプをしても罪にならない動物の世界に戻らない限り、わたしたちには、心など無縁のものであるのです。
しかし、よくよく世界を見てみますと、罪意識なく平気で人殺しをしたり、レイプをしている人間がうじょうじょいます。
戦争はまさにその典型であって、そこで戦っている兵士の表情は恰も人形のようで感情がまるでありません。
つまり感情がないから、平気で人殺しやレイプができるのです。
彼らの姿こそが、わたしたち人間の本質を表しておるわけで、普段のわたしたちは、それすら知らないで生きておることになります。
しかし、夢の中では、わたしたちは少なくとも、感情の無い自分の姿を垣間見ることが出来るのです
所謂現実の世界より、夢の中の世界で先ず人間の本質を知り、その上で身近にいるペットの犬から、感情表現することを学ぶことです。