Chapter 202 万物の霊長・人間

わたしたち人間は、もともと心などといったものを持ち合わせていない上に、生き物として本来持っている感情まで失ってしまったようです。
それでは、わたしたち人間とは一体何者であるのでしょうか。
生物学的には、霊長類という哺乳類に類した人類、類人猿類、猿類のひとつで、大脳がよく発達しているのが最大の特徴であり、他の動物には古皮質しかないのに対して、その上に新皮質があり、二重の皮質で構成された大脳を有している。
古皮質は本能、感情を司るのに対して、新皮質は知性、理性を司ると言われており、唯一知性を持つ最も進化した動物であるわけです。
従って、知性はわたしたち人間だけが保有するものではなく、ゴリラやチンパンジーにも薄い新皮質は備わっておるのですから、やはり知性を持っている。
それでは何故、霊長類だけが新皮質という知性を司るものが与えられたのでしょうか。
それは二本足で歩くことと大きく関係がある。
四本足で歩く動物より二本足で歩く方が大脳を発達させる効果があったようで、それは地球の重力の影響が小さくなったことに起因するようです。
四本足で歩くより、二本足で歩く方が頭の位置が高くなり、それだけ地球の中心からかかる重力の影響が軽くなるわけです。
大脳がより発達した理由は二本足になったからなのです。
それでは何故二本足になっていったのか。
霊長類の特徴の一つに、顔は短く小さい、手足がものを握るのに適しているというのがあります。
顔が短く小さい、ものを握るのに適しているということは、動物の最大の武器は牙と爪である観点から言えば、腕力的に極めて不利だとも言えるわけです。
それが二本足になった最大の理由であるのです。
危険を早く察知するには、出来るだけ遠くを見渡せることが要求される。
草食動物が視力と聴力に優れているのは、遠くを見渡せることによって、危険を早く察知できるようになっているからです。
弱肉強食の世界では、霊長類は草食動物と同じように弱者の部類に入るわけです。
他の動物に比べて貧弱な牙と爪であるが故に二本足になっていった。
それが結果的には最大の武器である知性を得ることになったのです。
得るものがあれば失うものもあるというわけです。
これが自然の摂理であります。
わたしたちが常に不安感を持ちながら生きているのは、草食動物と同じように、いつも危険にさらされているからに外なりません。
百獣の王ライオンにとっては、草食動物やわたしたち人間のように、いつもビクビク怯えて生きていくようなことは考えられないのです。
敵がいっぱいいる草原で、腹を出して平然と寝ておるのです。
結局の処、弱者の臆病さが人間の知性の原点であるということを、わたしたち人間は気づいていないのではないでしょうか。
人間にとっての優秀さの要因に知性がありますが、腕力における優秀さが知性の優秀さを上まわる要因であることを決して忘れてはいけないし、現に知性の優秀さで腕力の優秀さを陵駕できないのは、暴力団がのさばっておることがその証明であります。
従って、生きる上においての不安感の解消方法の一つは、知性の向上よりは腕力を強くする方が有効な手段であることを肝に銘じておくことです。
知性を有しているということは決して優秀さの証明にはならないわけで、弱さ故のものである。
そうしますと、万物の霊長であると自負しているわたしたち人間を、もう一度見直してみる必要があります。
万物の霊長である人間だから、神に近い姿をしているとか、他の動物には宗教は無いのに、人間だけにはあるといった考えは傲慢以外の何者でもない。
従って、宗教も人間だけに通用するものであっては意味がないことになります。
犬が小便をひっかけるような神社・仏閣に、わたしたち人間が小便をひっかけても何ら問題はありません。
それより犬が怖れたり、崇めるようなものに、わたしたち人間もうやうやしく崇めた方がいいのではないでしょうか。
それでは彼らが崇め怖れるものは何でしょうか。
それは、動きと光と音であるのです。
即ち、わたしたちの宇宙の原点であります。
彼らの方が、万物の霊長であるわたしたち人間より遥かに真理を知っていると言わざるを得ません。