Chapter 215 粒(デジタル)と波(アナログ)の世界

わたしたちは、陰という映像の世界を現実の世界だと勘違いしていると申しました。
勘違いというのは、視点の違いを言っているわけで、所謂現実の世界というのは、(本当の)現実の世界の陰であるのに、それを恰も実在する世界だと思い込んでいる。
宇宙に存在するものはすべて粒子であり、且つ波動であるという考え方が科学の世界ではあります。
ミクロの世界では、すべての物質は原子でできており、原子は原子核と電子でできており、原子核は陽子と中性子でできています。
そして電子、陽子、中性子を総称して素粒子といいます。
すべての物質は粒子、つまり粒でできているわけです。
一方、宇宙に存在する物質は、必ず質量があって、質量のあるものはすべてエネルギーという波動で成立っているとも言われています。
ニュートリノという超微小な素粒子の質量(エネルギー量)を計ることに成功して、小柴さんがノーベル賞を受賞した。
ニュートリノという粒子は、わたしたちのまわりにびっしりと詰まるように存在している物質なのですが、あまりに微小なため重さを計ることが今までできなかった結果、宇宙に存在するすべての物質の総質量に加えることができなかった。
ところが、重さを計ることができた結果、宇宙の物質の総質量が大きく増えたわけです。
そうすると、アインシュタインの相対性理論の中にある宇宙の曲率に関する方程式は、宇宙の曲率(ゆがみ方)は宇宙に存在するすべての物質(エネルギー)の総質量に比例するというもので、エネルギーが極大化すると、宇宙の曲率も極大化して、最終的には宇宙は膨張のあと縮んでしまうことになるというわけです。
アインシュタインが初めて、わたしたちの宇宙を四次元時空間という時間と空間の世界だと主張したのは、宇宙の曲がり方−質量(エネルギー)による重力で空間が歪み、光まで曲がってしまう。現に、英国の天文学者アーサー・エディトンが、5月の皆既日食の際の観測によって、太陽の傍に見える星は実は太陽に遮断されて見えないはずなのに、太陽の重力によってその星からの光が曲げられて、わたしたちの地球まで到達して見ることができることを確認することで、光が曲がると言ったアインシュタインの説が正しかったと発表した−によって、光の速度が分岐点で、光の速度との相対性によって時間が速くなったり遅くなったりして、決して時間の進み具合は一様ではないことを証明したからです。
光と等速度で宇宙旅行ができれば、時間は進みません。
光よりも遅い速度で運動する世界で存在するわたしたちですから、時間が過去から未来に進むわけで、光よりも速い速度で運動する世界ならば、わたしたちは過去へ遡ることになるのです。
飛行機で旅行をすると、時計の進み具合が、静止している時より遅くなる事実がそれを証明しています。
光よりも速く運動すればするほど、今日から昨日になる、一昨日になるという。
わたしたちは、今日から明日になり、明後日になるという世界が当たり前だと思って生きています。
ブラックホールは光でも抜け出せないほどの重い星で、光もその重力で吸収されてしまうから、外からは何も見えない星であるわけで、わたしたちの宇宙全体がいつかブラックホールになると、ニュートリノの重さを計ることで推測されるわけです。
それによって、わたしたちが従来考えていたビッグバン以来膨張し続ける宇宙は、いつか縮む方向に反転するということがわかったのです。
従って、時間の方向も反転する。
時間の進み具合が変化するとなると、過去から未来への一方通行だけではなく、未来から過去への方向もあり得ることになる。
ニュートリノの質量を計ることは、それほど重要な出来事であったから、ノーベル賞を受賞したのです。
宇宙は質量(エネルギー)のある物質つまり波動でできている。
粒と波の世界。
現代的に言えば、デジタルとアナログと言えばわかり易いでしょう。
光もデジタルとアナログという両方の性質を持っていて、太陽の光がガラス窓を通過するのは、粒子つまりデジタルだから可能であるのに対して、カーテンを閉めると光が遮られるのは、波つまりアナログであるからだと言える。
わたしたちの世界も、陰の世界、所謂現実の世界は波動つまりアナログの世界で、実在の世界、本当の現実の世界は粒子つまりデジタルの世界だと言えるのではないでしょうか。
アナログの世界は、過去と現在が繋がっており、未来が現在にも繋がっている、時間が水平方向の流れの世界だと言える。
デジタルの世界は、過去でもない、未来でもない、そして現在でもない、『今、ここ』しか存在できない時間が垂直方向の世界だと言える。
『今、ここ』にいるためには、アナログの世界からデジタルの世界に移動しなければ不可能で、それは宇宙が縮むまで待たねばならないのでしょうか。
それとも、光が粒になったり波になったり臨機応変に変化できるように、『今、すぐ、ここ』で、わたしたちひとりひとりが臨機応変になることを決断すれば可能なのでしょうか。