Chapter 216 もうひとつの世界

陰はどんな状態のとき、その姿を現わし、また消えるのでしょうか。
光の存在の有無が、陰の存在の有無を左右している。
では、わたしたちが生きている証であるふたつの現実の世界、即ち、本当の現実の世界と、所謂現実の世界という実体と陰の関係については、時間の有無が所謂現実の世界という陰の有無を左右していると言えるわけです。
光も時間も、運動の光と音(喧騒)の世界がビッグバンによって、静止の暗闇と沈黙の世界から誕生した際の副産物であり、運動の光と音(喧騒)の世界自体が、静止の暗闇と沈黙の世界の陰という映像であるのですから、わたしたちが実体の世界だと勘違いするのも仕方ないと言えます。
わたしたち人間という、自分たちの宇宙の一部品の存在が、機械全体の宇宙の特性を包含しているのは当然であります。
実体と陰は、実在性と非実在性という相反する性質を持っているが、その関係は対等であるのです。
実体が存在しなければ陰は存在し得ないが、陰が存在しなければ、実体も存在し得ないわけです。
本来の宇宙では、正物質と反物質が存在しているのに、ビッグバンによって誕生した、わたしたちの宇宙は正物質だけで成り立っていると言われるのも、わたしたちの宇宙が未完全なものであることを示していると言えるでしょう。
静止の暗闇と沈黙の世界が実体のある正物質と反物質が存在する完全な宇宙とするなら、運動の光と音(喧騒)のわたしたちの世界は正物質だけが存在する未完全な宇宙であり、更に反物質だけが存在する未完全な宇宙もどこかに存在しなければなりません。
ビッグバンによってわたしたちの宇宙が誕生した直後に、一個多い正物質と反物質が衝突して(対消滅という)、正物質、反物質が共に消滅する代りに、一個だけ多かった正物質だけが残り、光が誕生して、わたしたちの宇宙は正物質の光の宇宙になったと言われているのです。
そうすると、反物質の宇宙が何処かに存在する筈です。
静止の暗闇と沈黙の宇宙が正物質と反物質の実体の世界であり、運動の光と音(喧騒)の宇宙が正物質だけの陰の世界とするなら、反物質だけの宇宙はどのような世界であるのでしょうか。
二元論の世界での円回帰運動にその鍵が隠されているように思えるのです。
わたしたちの宇宙では、どんなものでも相対する二つのものが必ず存在して、その動きは円運動をして、必ず元の場所に戻る法則性を持っている。
ニュートリノの質量を計ることに成功した結果、わたしたちの宇宙は膨張するだけの一方通行ではなくて、必ず収縮に転じて元に戻ることが実証されたのは必然であったと言えるでしょう。
ところが、わたしたちが普段生きている中で、この法則が徹底されていないことが多々ある。
時間の流れは、過去から未来への一方通行だと、わたしたちは思い込んでいる。
エネルギーの存在イコールわたしたち物質の存在を表しているのですが、そのエネルギーが使用前のエネルギーから使用後のエネルギー(エントロピー)への一方通行だと思い込んでいる。
そこに一点の灯りを照らしてくれたのが、ニュートリノの問題だと言っても過言ではない。
わたしたちの宇宙は、いま膨張過程にあるが、いつか収縮過程に転じる。
収縮過程に転じたわたしたちの宇宙こそ反物質の世界で、時間が未来から過去へと流れる宇宙であるかも知れません。
静止の暗闇と沈黙の宇宙が実体の世界であり、膨張する運動の光と音(喧騒)の宇宙が陰の世界であるなら、収縮過程に転じた運動の光と音の宇宙はどんな世界なのでしょうか。
時間の有無が陰の有無を左右すると冒頭で申しました。
時間の方向性がもうひとつの陰の世界の存在を明かしてくれるのではないでしょうか。
そのとき、わたしたちの四苦八苦する人生の鍵になっている時間の問題が解決されるのではないでしょうか。
わたしたちの宇宙が収縮に転じるまで待つなら、これは人類全体の問題と言えるでしょう。
未来から過去への時間の流れについて、わたしたちがもっと理解を深めるなら、これは個人の問題と言えるでしょう。
21世紀中には、この課題の究明が、個人の問題としても、人類の問題としても大きく前進すると、わたしは確信しているのです。