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Chapter 217 悟りと覚醒 わたしたちは日々、眠りと覚醒の繰り返しを続ける一生を送っています。 その繰り返しはおよそ3万回。 地球が誕生してから46億年経過していると言われていて、地球の1年は太陽のまわりを一回まわることですから、地球はこれまで太陽のまわりを46億回まわっておるわけです。 その地球上で地球の恩恵を受けながら生きているわたしたちは、地球から見れば、ほんのけし粒程度にも見えないでしょう。 もちろん、地球の上には太陽があり、太陽の上には銀河があり・・・と続いているわけですが、わたしたちにとって絶対的存在として先ず受け入れなければならないのが地球の考えでしょう。 人類の歴史を振り返ってみますと、人知を超えた存在を神と崇め、信仰心が生れ、そして宗教が・・・という過程の中で、太陽を神と崇めるものが多い中で、自然崇拝というものはあっても、地球そのものを神と崇めるものがあったでしょうか。 科学の発達を待って、はじめて地球の姿が見え、「地球は青かった!」とわかってまだ半世紀も経っていないのです。 一方、地球環境問題が大きく取り上げられている昨今ですが、地球環境問題をつくってきたのは、わたしたち人間に外なりません。 人間さえ、他の生き物のように地球に対する畏怖心を持っていたなら、地球環境問題は起こっていなかった筈です。 それを今更といった感が否めません。 それは、太陽を神と崇めてきた人類ですが、地球を神と崇めてきたことがなかった結果だと思うのです。 「神の自叙伝」という作品を書いたのは、そういった想いから、わたしたち地球上に存在するものにとって、神という存在を認めるならそれは先ず地球であり、地球に想いがあるなら、地球の想いこそ神の意思であると考えたからです。 そして、地球の想いの内を代弁して語ってみたのが、「神の自叙伝」であるのです。 更に、この「夢の中の眠り」でも再三申してきましたが、わたしたちの世界は時間と空間の世界で、時間に支配されて生きている。 しかも、時間は宇宙の中でも様々で、わたしたちの時間は地球の自転と公転を一日と一年としたものが基本にあるわけですから、わたしたちを支配する時間を人知を超えた神と設定すれば、神の概念をより理解できるだろうと考えて、「神はすぐ傍」を書いたのです。 先ず地球を、そして地球が生んだ時間を、わたしたちにとって一番身近な神として展開して行くと、冒頭で申しました、わたしたちの一日の基本的動作が眠りと覚醒にあり、それは地球と直接深く関わっていると考えたのです。 わたしたちに眠りと覚醒があるなら、地球にも眠りと覚醒がある筈です。 しかし、地球は46億年一睡もせずにまわり続けていて眠っているようには思えません。 わたしたちの内臓も、生れてから死ぬまで動き続けていて眠っているときがあるようには思えない。 そうしますと、眠りと覚醒の繰り返しというのは、地球の本来性ではないわけで、従って地球に生かされているわたしたちの本来性でもないと考える方が自然であるわけです。 そこで、一生の内でおよそ3万回繰り返している眠りと覚醒の実態を掴んでみたいという想いから、「夢の中の眠り」を書き出したのですが、「神の自叙伝」、「神はすぐ傍」に続くのは必然であったように、今では思えるのです。 眠りと覚醒は繰り返し運動(動作)ではなくて、一連の動作であると考えた方が地球の基本に一致するのです。 わたしたちの肉体は死んで消滅すると思っていますが、地球にとっては位相の変化としか採らない。 つまり、死んだ肉体を土葬しようが、火葬しようが、結局の処、土に戻っていくことは確かですから、地球にとってけし粒程度の存在である人間が、肉体という位相から土という位相に変化したに過ぎない。 そうすると、わたしたちの一生も位相の変化が基本であると考えるべきで、睡眠と覚醒も位相の変化の一部に過ぎない。 わたしたちは眠りの中で夢を観ます。 眠りと覚醒が一連の動作であるなら、眠りの中で夢を観るなら覚醒の中でも夢を観るのが当然でしょう。 ただ覚醒というのが、どういうものなのかがよくわかっていないのが、わたしたち人間だけのように思えて仕方がない。 他の生き物はよくわかっているようです。 それは、地球−自然と言った方がわかり易いかも知れません−というものをよく理解しているからでしょう。 万物の霊長だと思い込んでいるわたしたちですが、果たしてそうでしょうか。 ひょっとしたら、一番低レベルの生き物かも知れません。 覚醒することが、地球上の生き物にとっての基本要件で、わたしたち人間だけが覚醒していない生き物かも知れません。 だからエデンの園を追放されたとするなら納得がいきます。 「悟り」と大上段に構えている、わたしたち人間ですが、「悟り」とは、地球上のすべての生き物にとっての基本要件であったとするなら、一体わたしたち人間とは何者でしょうか。 それを知るためには、眠りの中で観る夢は覚醒の中でも観るものだということを先ず知ることから始めるべきでしょう。 |