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Chapter 224 臆病な人間 わたしたち現代人の一生は不安に苛まれたもののようです。 不安な一生から解放されたいなら、最適の場所があります。 牢獄に入ることです。 牢獄は、軽い運動程度の労働だけで、三食昼寝つきの将来不安一切無しの安全な場所であるのです。 ただし自由はありません。 一方、最も危険な場所は、わたしたちが住んでいる娑場であります。 しかし、娑場には自由があります。 つまり、娑場とは、危険極まりないが自由な世界のことを言うのであって、安全な世界こそ自由の無い牢獄の世界と言っていいでしょう。 従って、 自由を欲しいなら危険は覚悟しなければなりません。 安全を欲しいなら自由は諦めなければなりません。 しかし、わたしたちは自由も欲しい、安全も欲しいと思って生きています。 これは土台無理な話なのです。 この世(俗世)とは、人間社会のことであって、それはさしずめ娑場というジャングルの中にある動物園のようなものなのです。 広大なジャングルの中に、いろいろな人間だけが檻の中で生きている世界で、ジャングルの真只中で生きている他の生き物たちが、動物園の外から不思議そうに見物しておるのです。 動物園の檻の中で生きている人間は、ジャングルで自由に生きている生き物を羨しく思っているのですが、生きるために殺し合いをしている様子を見て、怖くて檻から一歩も外に出られないのです。 檻の中はそれこそ三食昼寝つきの安全地帯であるのです。 ところが動物園は、とんでもない所で、いるのは人間だけなのですが、いろいろな檻がある。 牢名主が独裁者として君臨している檻もあれば、他の檻にもずかずかと入って来て、"俺たちはすべての檻を監視する警察国家だ!"といばり散らしている大きな檻の連中もいれば、小さな檻の中にいっぱいいて、辺りかまわず大便、小便、交尾をしまくって、自分さえよければ他人はどうなってもいいという、餓鬼畜生の檻もあるのです。 安全は確保すると主張する動物園ですが、それは単なる動物園の外にあるジャングルから身を守ってくれるだけで、動物園内では無法地帯と化してしまっている。 それが、わたしたち人間が生きている社会であるのです。 人間で構成されている社会では、独りになることを決して許してくれません。 常に、みんなと一緒でなければならないのです。 従属意識が社会の構成要因なのですから、独り勝手な行動は決して許されないのです。 しかし、わたしたちは時折、広大なジャングルに目をやり、危険だが自由な世界を垣間見て、真の自由の良さに惹かれます。 わたしたちが檻の中で観ている夢は、実は広大なジャングルの世界のことであるのです。 檻の中で安全と自由を引き換えにして生きているわたしたちですが、いつか必ず死ぬのです。 死ねば檻の中にはおれず、外のジャングルに捨てられて土に戻ります。 そしてジャングルで生きている生き物の餌になるのです。 ジャングルが安全でなく危険極まりない場所だと思っているのは、檻の中にいるわたしたち人間だけで、ジャングルで生きている生き物にとっては、それは単なる食物連鎖に過ぎないのです。 檻の中から出て、動物園の外にあるジャングルに飛び出すのは、ほんの少しの勇気と冒険心さえあれば、わたしたち個人の自由裁量なのに、臆病風を吹かすわたしたち。 「心の旅の案内書」で書いた詩を最後に紹介しておきます。 不安 生きるとは 危険なジャングルの中に放り出されること 死ぬということは ジャングルから広大なサバンナに抜け出すこと 生まれて そして死ぬというくり返しは 夜のジャングルから 朝のサバンナへの行き帰り それが本当の生きるということ だけど あなたは 人間が勝手につくった檻の中にいる 檻はジャングルにもサバンナにも もともとないもの なにかまわりの景色と合わない不自然なもの その中に入って 生きている 鉄の格子でできている檻は丸見えのもの その中からジャングルで起きている景色を見ていると ますます檻から出るのが恐くなる それが 檻の中で生きるものの愚かな宿命 不安という 目に見えない 檻の中だけにある幻想 檻から出れば 無限の広がり すべては あなた次第の 無限の自由 だけど あなたは 檻の中から出ようとしない 不安だらけの檻の中で ただ震えるだけ 不安に対してあなたは何もできない 危険に対してあなたは何かできる 勇気さえあれば 不安を選ぶか 危険を選ぶか それは あなた次第 (参考)心の旅の案内書 〜 リラックスした生き方 (参考)心の旅の案内書 〜 良い悪いが精神の眠りの原因 (参考)心の旅の案内書 〜 あなたもビッグバン |