Chapter 225 すべては突然(偶然)起こる

昨晩わたしたちは眠りに就く前に、何かを考えて眠りに就いた。
今朝わたしたちは目が醒めた後に、何かを考えて床をはなれた。
ほんの数時間が経っただけなのに、眠りに就く前に考えたことをすっかり忘れて、まったく別の考えをしているわたしたち。
「いや、自分は昨日ずっと考えていたことを、今朝目が醒めた瞬間も憶えていて再び考えている」
そう主張される方がいらっしゃるでしょうが、その方は昨晩から今朝までずっと目が醒めていて眠っていないのです。
ひとたび眠りに就くと、それまでのことを完全に忘却してしまうのが、所謂現実の世界の本来の姿であるのです。
だから眠りの世界に入ると、それまでのすべての出来事を完全に忘却しているのです。
一生の中で3分の1が眠っている状態なのですから、眠っている状態も一生の中であることは当然であります。
眠っている状態では、まったく何事もなかったように忘却している過去というものは、実在するものではない、即ち幻想の映像の世界であったことを自覚させてくれる縁(よすが)であることを忘れてはなりません。
「では、目が醒めたら、なぜ過去のことを思い出すのか?」
そう疑問に思われるでしょう。
過去のことを思い出すことはあるでしょうが、それは記憶の再現であって、現実の再現ではないのです。
つまり同じことが再び起きたのではないのです。
一方、目が醒めた瞬間(とき)、わたしたちは眠りの中で観た夢を憶えていますが、徐々に忘却して、遂にはすっかり忘却してしまいます。
なぜ忘却するのかと言えば、所謂現実の世界に入っていくことで、夢の中でのことを思い出すことが、はたまた記憶の再現であって、夢で起こった同じことが起こるのでないと確信することで忘却していくわけです。
つまり同じことが再び起きることは有り得ないのです。
「正夢(まさゆめ)で観たことは、その後で起こっているではないか」
そう執拗に言われるかも知れません。
それは単なる偶然つまり過去にも未来にも繋がっている現在という時間の一部での出来事であるだけで、やはり記憶の再現でしかありません。
わたしたちが過去を思い悩み、未来を心配して生きているのは、そう考えていることがもし実現したらと想像して、悩んでいることに外なりません。
「つまり同じことが再び起きたのではないのです」
過去に対し思い悩む原因がここにある。
「つまり同じことが再び起きることは有り得ないのです」
未来に対し思い悩む原因ですが、少し憶えている分だけ過去を思い悩むより少し深刻になる。
『今、ここ』を流れる水に同じ水は決して在り得ないのです。
わたしたちの人生も川を流れる水と同じことが言えるのであって、決して同じことが起こることはないのです。
ところが、わたしたちが思い悩んでいるものの正体は、同じことが起こるのではないかという想像からやって来る脅迫観念に外ならないのです。
しかし、絶対に同じことが起こることはないのです。
このことに確信を持つことが出来たら、わたしたちは過去や未来−現在も過去の一部であり、未来の一部である−で思い悩むことが、如何に無駄なことであるかを思い知る筈です。
「こうなってくれたら、もう自分の人生は安泰だ!」
そう思った通りになったことがあるでしょうか。
思いもよらないことが起こり、「何故だ!?」と悲鳴をあげることが多々あるでしょう。
「こうなったら、自分の人生はどうなるのだろうか!」
そう思った通りになったことがあるでしょうか。
思いもよらないことが起こり、「どうして!?」とほくそ笑むことが多々あるでしょう。
生きているということは、『今、ここ』しかないのです。
死ぬということは、『今、ここ』の延長線上−垂直線上と言った方が適切ですが−にあることで、未来のことではないのです。
だから死は突然やって来るのです。
あと一日の命だと言われても、死はやはり突然やって来るのです。
起こることはすべて、『今、ここ』の延長線上(垂直線上)でのことで、時間の入る余地のない世界でのことなのです。
起こるであろうと想像することはすべて、過去、現在、未来という時間の延長線上でのことであるのです。
起こることと、起こるであろうことを混同しているわたしたちですが、眠りと覚醒を貫く中に、思い違いをしているヒントが隠されていることを忘れないことです。