Chapter 226 生と死の問題

昔の立派なお坊さんは、自己の死を予知できたそうです。
人生50年の時代に、こういった立派なお坊さんは80年以上も生きたのですから、現代では優に100年以上生きたことになるでしょう。
人間の肉体は、病気さえしなければ120才まで生きることができるようで、それを阻害している最大の原因が気の病であるのです。
お釈迦さんを筆頭に、仏教に貢献した立派なお坊さんは殆どが80年以上生きて大往生された、つまり死ぬまで健康で生きて、死ぬ時期を察知し、準備をして、死んでいったのです。
気の病を持たない心境にあったのが、長寿の最大の要因であったのだと思います。
現代日本は、80年まで平均寿命が伸びたと世界に自慢して、2020年には3人に2人が65才以上という高齢化社会になるわけですが、街を歩く高齢者の方々の姿を見ていますと、自分も長生きしたいという気持ちには到底なれない。
生きるのが辛いという雰囲気がありありと窺えるご老人が多いのです。
昔の立派なお坊さんは、80才になっても矍鑠としていたのに比べて、現代日本のご老人には残念ながらそんな雰囲気が微塵も感じられないのは何故でしょうか。
年間医療費が20兆円を超すという異常さの原因が関係しているように思えます。
病院に行きますと、圧倒的にご老人が多く、病院から出された大量の薬を持ち帰る姿に出喰わします。
医療ビジネスがこういったご老人をつくりあげ、平均寿命80才以上の長寿大国に仕立て上げたのが実態だと言えるでしょう。
更にそういったご老人の面倒をみるための介護という新しいビジネスまでつくる始末で、この国の狂いぶりは極致に達しているとしか思えません。
年金保険、介護保険と、国民から強制的にお金を巻き上げるこの国の為政者たちこそ、極悪非道三昧の連中ではないでしょうか。
健康で80年以上長生きできてこそ、有意義な一生だと言えるのであって、生きるのが辛い中で長生きするのは、これは地獄以外の何ものでもない。
そういったご老人を街の中で見ると、罪つくりな国だと憤慨やる方ない気持ちになるのです。
しかし、ご老人たちにも、お国にべったり面倒を見てもらおうという気持ちがあることも確かで、一番の問題点は本人の依存心にあるのです。
年金や介護に依存しないで、自分の健康と食いぶちは死ぬまで自分が働くことで維持する気概が必要で、また国も生涯現役が可能な制度をつくることです。
そのためには、国の責任を問う前に、先ず自己の姿勢を正すことから始めなければならないでしょう。
その際に、大いに参考になるのが、昔の立派なお坊さんの生き様であるでしょう。
究極は、自己の死を予知できる心境になることです。
悟りなどと大上段に構えないで、日常のちょっとした中にその縁(よすが)を発見することが何にも増して大事なことだと思います。
前Chapterで申しましたように、世の中のすべてのことは突然やって来ます。
その究極が死であると言っても過言ではないでしょう。
死は確かに突然襲ってきます。
それを否定される方はいないでしょう。
末期癌で明日まで保たないと医者に宣告されて覚悟しても、やはり死は突然襲って来るのです。
それは何故でしょうか。
現実化する、実現する、現に起こるということは、現在という時間の流れの中で起こるのではないのです。
ましてや過去や未来の中で起こるべくもない。
明日までの命ということは未来の話であって、それが刻一刻と時を刻んで現在に至るのですが、現在に至ってもまだ何事も起こらないのです。
時間を超えた、『今、ここ』になってはじめて起こるのです。
つまり、普段のわたしたちは時間を意識して生きていますが、死という最後の段階に入って、時間を超越しなければ死ぬことはできないのです。
わたしたちはみんな死にます。
従って、どんな考え方で生きてきてもそれは個人の自由ですが、死に際しては、みんな超えなければならない共通の大きな壁が立ち開っているのです。
それが時間を超えるということなのです。
時間を超えないでは死ぬことができないのです。
いままで、時間のことをいろいろな切り口でお話をして来ました。
小難しいことを言う奴だと思われる方も、たくさんおられたと思います。
しかし、死ぬことは確かであり、死は突然襲って来るということも確かで、死に際してどう死ねばいいのか未だにわからないのも確かでしょう。
だから死を怖いと思っているのです。
できれば死を恐れずに死にたいと思っておられるのも確かでしょう。
しかも死は必ず襲って来る。
さあ、どうしますか。
結局の処、生きている間は何の問題の解決も見ないで、死に臨むのです。
結論は死に際して出るのです。
「お前は、時間を超えることができたのか?」
それが閻魔大王さんが、わたしたちにする唯一の質問なのです。
「はい、できました」
と答えて、晴れて死に臨めるのです。
いままで、みんな死ぬことができて来たのですから、これからも死ぬことができるでしょう。
従って、死は誰にとっても結局は何の問題もありません。
問題は如何に生きるかです。
その答えが、死の間際にみんなわかるのですが、もうそれでは遅くて引き返すことはできない。
死ぬまで得られない答えを求めて、わたしたちは人生を送っているのですが、その答えは閻魔大王さんが質問する、「お前は、時間を超えることができたのか?」の中にあるのです。
時間に支配されない生き方。
つまり、『今、ここ』を生き切るのが、その答えであるのです。
誰でもいずれ死に際して、この答えを得るのですが、死を人生最大の問題として四苦八苦しているわたしたちの生を超えることができるのは、時間を超えることに外ならないのです。
昔の立派なお坊さんが、自己の死を予知できたのは、まさに、『今、ここ』を生き切った結果であるのでしょう。