Chapter 227 記憶の合成

20年前の記憶と40年前の記憶が交錯することが可能でしょうか。
目が醒めている状態、所謂現実の世界においては無理ですが、夢の中では可能です。
しかも、夢の中では追憶(Memory)ではなく、現実(Reality)として現れるのですから、過去の経験にはなかったことであるわけです。
しかし、夢の中にありありと出てくるのですから、夢が記憶の蓄積されたものであるという観点からすれば、必ず経験した筈であります。
夢は時間の流れを飛び超えて記憶を合成する、まるでコンピュータ・グラフィックスのようなものだと以前申しました。
しかし、コンピュータ・グラフィックスで合成するにしても、合成する自己の意思が働かなければできません。
記憶上では、そんな意思が働いた憶えはまったく無いし、現に20年前のことと、40年前のことが交差する筈もないわけです。
ましてや、自分が鳥になって飛んだり、魚になって泳いだりする体験などあるべくもない。
もし、そんな意思が過去において働いたことが、まったく無いなら、何故夢に出てくるのでしょうか。
そこで、20年前の記憶と40年前の記憶を、夢を憶えている間に検証してみると、新しい事実が発見−再発見と言ったほうが適切ですが−できます。
交差する共通点がそこにあるのです。
20年前の記憶と40年前の記憶に交差する共通点がなければ、同じ夢の中で出て来ることは有り得ません。
その共通点には大別したカテゴリーがあります。
それが欲望であるのです。
欲望にもいろいろなものがありますが、すべての生き物に共通した欲望、つまり本能欲であります。
性欲、食欲、権力欲は本能欲ですが、金銭欲や名誉欲は人間だけの欲望つまり人為的(Artificial)なものですから、夢の中には登場しません。
ところが、わたしたち人間が持つ夢−眠りの中で観る夢ではなくて、理想としての夢−は、本能欲に基づいているものよりも、人為的な欲望から発しているものなのです。
子供に、「将来の夢は何?」と訊ねると、「警察官」、「学校の先生」、「お医者さん」、「軍人」、「政治家」・・・といったものが多かったのです。
現代の子供たちに訊ねると、多分「お金持ち」と答えるのが圧倒的に多いでしょうが、これも拝金主義の現代世相を表しているのです。
何れにしても、人為的な欲望から発するものを夢見るのですが、残念ながらそういった夢を実現することは、いくら夢を大きく持っても不可能であります。
理由は、眠りの中での夢に決して出てこないからです。
一方、白昼夢というものがあります。
(夢)幻想と言ってもいいでしょう。
夢を観ているような、現実に起こっているような、どっちとも言えないような状態を白昼夢と言うのですが、これはまさに本能欲にまみれた夢であるのです。
所謂現実の世界と、夢の世界との違いは、この本能欲のまみれ度に関係がある。
他の動物は、寝ても醒めても本能欲まみれで生きていますから、所謂現実の世界と夢の世界の間にギャップが無い。
つまり一元世界に生きている。
わたしたち人間は、目が醒めている所謂現実の世界で見る人為的欲望の夢と、眠っているときに観る本能的欲望の夢の世界との間にギャップが有る。
つまり二元世界に生きている。
わたしたちは、ふたつの世界を生きていると前に申しました。
目が醒めているとき所謂現実の世界と、寝ても醒めても観続けている夢の世界のふたつであります。
二元論的に生きる限りは、ふたつの世界で生きることは当然のことです。
『あっちがいい、こっちがいい』
こう迷うだけで、ふたつの世界を往来しているのです。
ところが、『あっちがいい、こっちがいい』と迷うのは、これすべて人為的欲望から発する場合であって、本能的欲望から発するものは、まさに一元的であるから、『あっちがいい、こっちがいい』などと迷うことなど有り得ないのです。
そして夢に現れるのは、すべて一元的なものに限られるのです。
つまり現実化するものは、一元的なものに限られるのです。
夢が実現するというのは真理であるのです。
しかし、わたしたちの夢−ここで言う夢は眠りの中の夢ではありません−は二元的なものばかりに、もう子供の頃から囚われている。
人為的欲望は後天的なもので、本能的欲望は先天的なものですから、本来の子供なら本能的欲望に基づいた夢の筈なのです。
性欲にまだ目覚めていなくても、食欲の強さは大人の比ではありません。
7才ぐらいまでに、子供たちの本能欲は固まってしまいます。
従って、本能欲がしっかり固まるまで、人為的欲望を知らしめなかったら、二元的発想にならないのです。
何れは大人の世界に否応なしに入って二元的世界に埋没してしまうのです。
わたしたち大人も、7才ぐらいまでの間にしっかりと本能的欲望の本質を体得しておれば、二元的発想ばかりの人間にならなかった筈であります。
20年前のことと、40年前のことが、同じ夢の中で現れるということは、それだけ二元的に生きてきたという証であります。
そして、まさにふたつの世界を生きていることの証でもあるのです。
そして、寝ても醒めても四六時中夢を観ていることの証でもあるのです。