Chapter 229 “子供のような”世界

イエス・キリストは愛が神だと教え、子供のような心にならないと、神の世界に入ることはできないとも言いました。
現代社会の子供は、残念ながらイエスが言うような子供ではないようなので、彼らも神の世界に入ることはできないでしょう。
その代りに、大人とのコミュニケーションが巧みにできる不気味な子供が増えている。
昔の子供は、貝を集めて喜んでいたが、今の子供は、お金を集めて喜んでいる。
イエスが言った、子供のような心とは、言葉を交わさなくてもお互いの意思が通じるような想いのレベルのことを言っているのです。
つまり、所謂現実の世界と夢の世界の違いは、想いのレベルの違いだと言っていいでしょう。
想いのレベルの違いを、心と言うのですが、心というものは、本来存在し得ないものと申しましたのは、心というものが在るのではなくて、飽くまで想いのレベルの違いを指すわけで、何故想いのレベルの違いが生じるかと言うと、ふたつの世界に同時に生きているからに外なりません。
従って、心は人間だけに有る状態で、一元的に生きている他の生き物には、想いのレベルの違いなど有り得ないのですから、心など有り得ないのです。
心がある状態だからこそ、わたしたちは悩み、苦しむのです。
不幸感、苦痛、悩み、不安・・・といった否定的な想いこそ、目が醒めている所謂現実の世界と、四六時中夢を観ている世界というふたつの世界を往来して生きているわたしたち人間だけの専売特許であるのです。
寝て、起きて、また寝て・・・と日々繰り返す。
もちろん他の生き物も日々同じ繰り返しをしているように見えますが、彼らはずっと夢の世界の方で生きています。
一方、わたしたちは眠りの中で夢を観ているときだけは、所謂現実の世界から夢の世界に移動しているが、それ以外のときは、寝ても醒めても、所謂現実の世界の方で生きているのです。
誤解してはいけないことは、夢の世界は、眠っているときだけのものではなくて、寝ても醒めても、ずっと続いているということ。また所謂現実の世界も、寝ても醒めてもやはりずっと続いている。
現に、眠りの中で夢を観ているわたしたちは、夢を現実だと思い込んでいる。
目が醒めてはじめて夢の世界にいたことに気づくのです。
重なり合ったふたつの世界を往き来するが故に、それぞれの世界での想いのレベルの違いが生じる。
それこそが、心の正体であるのです。
イエスは、愛が神だと教えました。
イエスは、子供のような心を教えました。
しかし、子供に戻れとは言っておりません。
“子供のような”と言ったのです。
子供は、他の生き物と同じ、夢の世界に生きていますが、子供のような世界というのは、わたしたちが生きているふたつの世界を超えた世界のことを指しているのです。
それが、愛の世界であり、神の世界だと象徴的に言っているのでしょうが、要するに、目が醒めているときの世界と、眠っているときに観る夢の世界を往き来するのを止めなさいと言っているのです。
そうすると、突然目の前に、新しい世界が現れる。
それが、『今、ここ』という世界なのです。