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Chapter 234 手品(マジック)と宗教 一時期インドのサイババブームでこの国は沸き返り、サイババツアーなるものまで出る始末は、宗教法人数が20万を超え、その信者総数2億数千万人という狂気の沙汰でも、肯けるわけです。 いまどうなったのか知りませんが、やはりブームの一過性の宿命で、サイババは日本人にとって最早忘却の彼方に追いやられてしまったのでしょうか。 手の中から、ピプーティーとかいう怪し気な白い粉を出す奇跡で感動を起こしていたのを、テレビで放送していた記憶があります。 白い粉で人を幸福にしてあげることができるなら、「あなたは死んだら天国に行ける」と保証してくれる教祖様よりも、ずっと世の為になっていると思います。 この国最大の宗教団体も、今は知りませんが、昔は、信者が脱会しようとすると、「あなたは地獄に落ちる」と真面目な顔をして脅かしている光景を何度も見たことがあります。 宗教に入る人たちの動機は、個人のご利益がその殆どと言っていいでしょう。 しかも、そのご利益というのは、自己満足という個人の気持ちの問題だけに過ぎないのです。 だから、サイババのように超常現象を起こしても、それが自己のご利益に繋がらないと、すぐに忘れ去られてしまうのでしょう。 結局、タネを明かすことはできなかったにしても、単なる手品だと思っていたからではないでしょうか。 タネの無い手品などありません。 タネがあるとわかっていても、わたしたちは、その手品に感動し、あとでタネを明かされても、それで手品師に失望することはないし、よくそんなタネを考案したものだと感心します。 最近のマジックは、科学の進歩で、ますます巧妙かつ精妙になって、タネが必ずあると信じていても本当に観衆を感動させてくれます。 もし宗教に意義があるとするなら、その本質がここにあるのではないかと思うのです。 人に感動を与えることが、その本質ではないでしょうか。 「感動」という文字が示すように、気持ちを(揺れ)動かすという意味です。 まさに、信仰心はここに原点がある。 それなら、素晴らしい手品は、人を感動させるに十分な力を持っていると言えるのではないでしょうか。 要は、タネがあっても、感動を与えてくれればいいわけです。 初期の宗教は、教祖のカリスマ性がタネとなって、手品をしなくて人を感動させてきたのです。 ところが、それが大きな組織になって行くと、教祖のカリスマ性に直接触れることができなくなる、その時点で手品は終了したのです。 大乗的になった宗教は、ビジネス以外の何者でもない所以であります。 21世紀にも宗教が存続できるとするなら、タネのある素晴らしい手品を科学の力で考案して、人に感動を与えることができることではないでしょうか。 癌を簡単に治す素晴らしい薬ができれば、それは立派な宗教になれると思うのです。 しかし、ここで忘れてはならないのは、感動する人の気持ちというのは、サイババの例でわかるように、一過性の思いつきのものであるということです。 宗教の限界がここにあることを認識して、教祖は次から次へと新しいタネづくりに励まなければならないことを肝に銘じて置くべきでしょう。 科学を駆使した素晴らしい手品師が、21世紀の宗教を起こす可能性があるように思います。 |