|
Chapter 236 悪用の科学から善用の科学へ 情報化社会になると、すべてが数字で示されないと信じられなくなってしまいます。 最近のマスコミを通じて喧伝される手法は、数字の手品(マジック)を駆使したものが目立って多くなっています。 逆に言えば、現代人は数字で示されないと信じられなくなってしまっているとも言えるのです。 特に多いのが、お金の話です。 保険会社の宣伝が際立って多くなっている日本ですが、その理由はいくつか考えられます。 ひとつは、欧米資本主義社会の保険会社が日本の市場を狙って上陸してきたことがあります。 ひとつは、社会不安を煽る目的があります。 保険というのは、不安感が無い社会では無用のものです。 コンピュータ・ウィルスという危険からコンピュータを守るために、ウィルス・ソフトが必要です。 そうしますと、金儲けの一番確実な方法は、コンピュータ・ウィルスをつくる犯罪者とウィルス・ソフトをつくる業者がひとつになっていればいいわけです。 病気がなくなれば医者という職業はこの世からなくなります。 結局は、人の弱みにつけ込む悪どい金儲けが、その実態であるのですが、その背景には、お金万能の拝金主義化された社会が存在するからです。 20世紀という社会は、科学がものすごい勢いで発達した世界でしたが、その科学が拝金主義を増長させた最大の原因であることも確かです。 どんなものにも全面悪もないし、全面善もないのが、わたしたちが生きている二元的世界の法則であります。 科学を悪用したのが、洗練された近代拝金主義思想であるわけですが、拝金主義思想のルーツと言えば、旧約聖書の出エジプト記でモーゼが十戒の板を投げつけた相手である、欲望にまみれたヘブライの民たちでしょう。 彼らは、目に見えないものなど信じられないと煽動者に唆され、金泊で覆われた偶像をつくり、それを神の化身とするのですが、この金泊で覆われた偶像崇拝が、拝金主義思想の原点であるのです。 人間社会に善悪の概念を持ち込んだのも、旧約聖書でのアダムとイブの話であります。 人間社会における二元論的発想の原点が旧約聖書にあり、近代社会の幕開けの礎となったルネッサンス・宗教改革・産業革命も、結局は旧約聖書の善悪世界観が織り成す結果誕生したと言っても過言ではないでしょう。 その頂点に達しているのが、資本主義思想と化した近代拝金主義思想の蔓延した現代社会であり、その仕上げが高度情報化社会であるのです。 科学を悪用すれば原爆のような悲劇を生みます。 科学者は、自分たちが信じる科学を善用されることを期待して一心に研究に打ち込むのですが、この人間社会が二元論的である限り善用だけでは済まされず、必ず悪用するものも出現してくるわけで、少なくとも現代に至るまでは、善用する人間よりも悪用する人間が支配してきたと言えるでしょう。 その根本思想に旧約聖書が大きく影響をしてきたことは確かで、ローマ帝国そしてそれを引き継いだ欧米近代社会がこれまで人間社会を席巻してきた結果であるのです。 二元論的宇宙は、わたしたちが生きている運動の光と音(喧騒)の宇宙の基本ルールであるのですが、その原則を人類誕生という初期において悪用する方が先陣を切ったことが、人類の悲劇に繋がって来たわけで、そういう意味では科学は悪の道具に成り下がって来たのが、20世紀までの人間社会であったと言えるでしょう。 しかし科学自体が悪であるのではないのです。 科学を悪用する人間が問題であり、それを受け入れた弱き善人が更なる問題であったと言えるでしょう。 21世紀が高度情報化社会だと喧伝されているのは、まさに悪用の極みに達するか、それとも科学を善用する流れに変える一手になるかの重大な分岐点になることは確実だと言えるでしょう。 その為には、科学はわたしたち一般の人間の為の科学であるべきで、一部専門の科学者だけに委ねる学問であってはならないのです。 ギリシャ時代の科学イコール学問(哲学)の人間社会を再構築しなければならない。 パクス・ブリタニカ(Pax Britanica)、パクス・アメリカーナ(Pax Americana)の原点である、二元論的アリストテレスの世界であるパクス・ロマーナ(Pax Romana)ではなく、三元論的ソクラテスの世界であるパクス・グラエカ(Pax Graeca)を、2004年はアテネ・オリンピックでもある機会に、21世紀のキーワードにしなければなりません。 |