Chapter 237 一元・二元・三元を貫く切り札

人類の歴史は、進歩を悪用してきた極悪人が支配する歴史であったと言っても過言ではありません。
もちろん、ここにも二元論の法則が厳然と作用しているので、すべてが悪用の歴史ではなく、時には善用された時もあったでしょう。
しかし概ね悪用の歴史であったと言えるのは、わたしたち人間の想念、心の影響がその最大の原因であると考えられるのです。
想念、心を実体あるものと錯覚しているわたしたちは、人生を四苦八苦のものと捉えて生きてきました。
つまり人生は概ね苦労、不幸であり、その合間に喜び、幸福が散りばめられていると信じ込んでいるのではないでしょうか。
人生すべてが不幸の連続であれば、これはもうやって行けないが、時折その逆の幸福もやってくるから、何とか四苦八苦の人生も我慢してやっていけると、みんな潜在意識下で思い込んでいる節があり、宗教がそこにつけ込んできたのは、まさに医者と保険会社、医者と薬品会社、警察と反社会勢力、コンピュータ・ウィルスをばら撒く犯罪者とウィルス・ソフト会社の共生関係と同じであるわけです。
宗教が、最大且つ最適の金儲けであった歴史は、旧約聖書以来、人間の潜在意識に刻印された、人生は苦労の連続という極端に歪んだ二元論の悪用がその背景にあることを、わたしたちは何よりも先ず認識しなければ、21世紀を明るいものにすることは出来ず、20世紀を更に上まわる悲劇の世紀にしてしまう危険性を孕んでいるのです。
本来、宇宙の法則である二元論は、悪用する確率と善用する確率は50対50であるわけで、それで差し引きゼロにするのが真理であるのに、人類の歴史は、最初に原罪などという概念をつくり、人間は罪を背負って生れて来たと信じさせられてきた結果、悪用ばかりの歪んだ歴史になってきたのです。
その首謀者は宗教であり、片棒を担いできたのが、政治家、役人、医者、教育者・・・といった同じ聖職の身の連中であったのです。
何としても、人類のこの呪縛の歴史を塗り変えなければ、21世紀はとんでもないおぞましい世紀になってしまうのです。
その原点にあるのが、二元論的世界である、運動の光と音(喧騒)である、わたしたちの宇宙の正しい理解であり、その為の正しい科学でなければならないのです。
科学とは、ひと握りの専門家のものではなく、わたしたちひとりひとりの非常に大事な学問すなわち生きる術であることを理解することから、始めるしかないでしょう。
科学と哲学を統合するために、「神の自叙伝」、「神はすぐ傍」、そして「夢の中の眠り」を書いてきたのです。
運動の光と音(喧騒)の宇宙と、静止の暗闇と沈黙の宇宙。
目が醒めているときの所謂現実の世界と、夢の世界。
普段自分だと思っている無数の「私」と、本当の自分である独りだけの「わたし」。
3階と5階だけを日々往復している無数の「私」と、5階建ての劇場にある自分独りだけの席に座っている「わたし」。
背景画面という映像を人生と思って生きている無数の「私」と、背景画面の前にある実舞台が、本当の人生と知っている「わたし」。
この二元論的世界を貫く一本の串こそ、『今、ここ』を生きることであり、それがすべての生き物に通じる一元世界という始点と、更に、『今、ここ』に生き切ることが、人間が前進すべき三元世界という終点を、繋げる円回帰運動の切り札であるのです。