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Chapter 239 真実の言葉 現代日本社会は、まさに洗脳という伝染病に汚染されたおぞましい様相を呈しています。 洗脳という細菌を撒き散らしている最大の罪人がテレビであるのですが、一番ひどい伝染病に汚染されているのが、20代から30代半ばの母親ではないでしょうか。 つまりバブルの落し子が母親になっている世代であります。 テレビのひどさは今にはじまったものではないことを、機会ある度にお話してきました。 戦後のアメリカによる対日政策の一環として、力道山のプロレス、巨人軍のプロ野球、そしてイレブンPMという番組で、日本人の洗脳作業をしてきたのです。 ヨーロッパの識者の間では常識になっている話でしたが、そのテレビ局が遂に馬脚を現わした。 視聴率を上げる為に、買収行為が為されていたという報道がトップ記事で報道されました。 しかも、一プロデユーサーの単独行為だと局の責任者が言っているとのことですが、そんなことを識者の人たちは、鼻で笑っています。 購読者獲得合戦に反社会勢力を使っていた新聞社が親会社ですから、誰が考えても、一社員の単独犯罪などと信じていないのです。 洗脳作業の片棒を担いできた連中が制作した番組を、飛びつくように見入っているのが、先に申しました母親とその子供たちであるのです。 汚染された彼らの症状の特徴は、躁鬱病の症状と酷似しています。 時には、落ち込んでヒステリックになったと思うと、反転して天下を取ったかの如く、何でもありの言動に出る始末で、手に負えません。 一億総神経衰弱に陥った国民と申しました中の尖兵隊が彼らであるのです。 そんな母親というイブに育てられたアダムという名の子供たちは、もう先天性梅毒患者のようなものであります。 こんな精神の退廃的社会様相は、敗戦後の経済の疲弊的様相の比ではないのに、まったく気づいていないから、一億総神経衰弱患者だと申しているのです。 アメリカ社会はもっと悲惨で、2億総精神分裂症の様相です。 ヨーロッパ社会は冷めた目で、日米両国をそんな風に見ています。 今やアメリカという国は、欧米社会の一員ではなく、環太平洋社会の一員だと思われているわけで、その最大の手下が日本であるのです。 韓国とフィリピンがアジアにおける嘗ての最大の手下であったのですが、韓国国民やフィリピン国民の反米運動が烈しくなってきた昨今、彼らの方が日本国民よりも遥かに大人であると評価されています。 来る総選挙が、まさに日本国民の成熟程度を推し計るバロメーターになるでしょう。 その結果次第で、今後四半世紀の日本の行く末が決定されると、国際社会は見ています。 しかし、この病気の根は深いのです。 先週配信しました、「大和撫子の一生」第四部第八章(維新の幻影)及び「砂漠の嵐(ハムシーン)」第五十六章(2000年の時空)は、そういった想いの中で、日本国民への警鐘の意味も込めて書いたものです。 国際社会の中では、イエスが言った真実の言葉。 日本社会の中では、吉田松陰が言った真実の言葉。 彼らの言葉を真摯に受け留める姿勢こそ、いま日本国民に求められていることであると思うのです。 彼らの言葉を、最後に紹介して、このChapterを締めたいと思います。 (イエスとイエスを十字架に架けたパリサイ人律法学者とのやりとりから) パリサイ人律法学者たちは言った。 「この人は悪霊どものかしらであるベルセブルの力で悪霊どもを追い出しているだけである」(「マタイ伝」十二章二十四節) 彼らに対して、イエスは真正面から闘った。 「どんな国でも、内輪揉めして争えば荒れすたる。どんな町でも家でも、内輪揉めしておれば立ち行くことはできない」 イエスは妥協することはなかった。 「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国を遮っている。自分も入らず、入ろうとする人々をも入らせようとしない」 妥協のないイエスに対する反発のみが、パリサイ人律法学者に湧いてきた。 「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分よりも倍も悪い地獄(ゲヘナ)の子にする」 更にイエスは言う。 「忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは杯や皿の外側は清めるが、その中は強奪と放縦でいっぱいである。目の見えぬパリサイ人たち。先ず杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる。忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものだ。墓はその外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいである」 イエスは偽善の律法学者であるパリサイ人たちに対して、闘い続け、真実を貫き続けた。 ローマの総督ピラトは律法学者や群集に訊ねた。 「ローマ皇帝カエザルのご慈悲だ。年に一回ある過ぎ越しの祭りに恩赦をお与えになった。お前たちは、このふたりのどちらに恩赦の恵みを与えるか?」 ピラトは、イエスと、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを指さして言った。 群集は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ!」と叫んだ。 ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて群集に呼びかけた。 しかし人々は、「十字架につけろ!十字架につけろ!」と叫び続けた。 ピラトは三度目に言った。 「いったい、どんな悪事を働いたというのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから鞭で懲らしめて釈放しよう!」 しかし偽善の律法学者パリサイ人に洗脳された群集は、「この男を、十字架につけろ!」と叫び続けるだけだった。 そこでピラトは、群集の目の前で水を取り寄せ、手を洗って彼らに言い渡した。 「この人の血について、わたしには責任がない。自分たちで始末するがよい」 すると群集はみな答えて言った。 「その人の血は、わたしたちや子供たちの上にかかってもよい」 群集の中に潜んでいた一人の男が、独り言を呟いた。 『自分たちの子供を、何百年、何千年の時間を掛けて、奴らの中に潜り込ませよう。最後はわれわれが勝利を得るのだ』 (維新の最大の功績者と言われている吉田松陰の死に臨む言葉から) 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」 更に松陰は言う。 「人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではないのだ。しかしながら人間にはそれにふさわしい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳のなかにおのずと四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十歳、百歳にもおのずから四季がある。十歳を以って短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳を以って長いというのは、霊椿を蝉にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。 私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した栗の実であるかは、私の知るところではない。 もし同志の諸君のなかに、わたしのささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるのなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい」 そうすると、弟子の高杉晋作が現れ、松陰に訊く。 「男子の死ぬべきところはどこでしょうか?」 松陰は応えた。 「死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者があるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。 死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。 つまり、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切である」 そして、ひとりの男が、その手に剣を携えて現れて言った。 「死罪の儀、翻意あるなら最後に申してみよ」 「申し渡しの儀、委細承知仕りました。長い間、ご苦労をかけました」 剣を携えた男は、その松陰という青年の潔さに感銘して、自分の名を伝えた。 「わたしの名前は、首切り浅右衛門と申し候」 |