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Chapter 241 遠心力と求心力(向心力) わたしたちが生きている宇宙は円運動が基本になっている世界であります。 ミクロの世界である分子、原子、素粒子から、星、星雲、宇宙というマクロの世界までを貫くのは、円運動をしているということに尽きます。 わたしたちの銀河星雲も真上から見ると、渦のように見え、真横から見れば、薄い円盤のように見えるのは、円運動していることを示しているのです。 150億光年の拡がりを持つと言われている宇宙は、ビッグバンによって誕生して以来円運動をしながら拡がって行っているわけです。 地球も自転と公転という円運動をしています。 地球の表面で生きているわたしたちは、地球を1日つまり24時間で一周つまり4万kmの速度−時速にすればおよそ1700km−で自身が運動し、且つ地球号という秒速30km−時速にすれば10万8000km−という猛烈なスピードの乗りものに乗って円運動をしているのです。 遊園地にコーヒーカップの乗り物があります。 コーヒーカップ自身も回転し、且つたくさんのコーヒーカップが設置されている円盤も回転していますが、わたしたちはまさにコーヒーカップに乗っている客なのです。 コーヒーカップや円盤の動きに目をやりますと、完全に目がまわって酔ってしまいますから、コーヒーカップの中でじっと目を動かさずにしているしかないのです。 これほど猛烈な速度で円運動しているにも拘らず、わたしたちが恰も静止しているような感覚でいられるのは、コーヒーカップの中でじっと目を動かさずにしているからなのです。 しかし実際には、猛烈な円運動をしている。 円運動するということは遠心力(Centrifugal Force)が働いているわけですが、酔う原因は、この遠心力の働きに因るのです。 遠心力だけが強く働けば、円はどんどん大きくなって行きます。 わたしたちの宇宙がビッグバンという大爆発によって誕生し、その後150億年間膨張し続けているのは、この遠心力に因るわけです。 しかし、わたしたちは普段静止している感覚でいることができるのは、遠心力を相殺してくれる求心力(Centripetal Force)が働いているからです。 時速1700kmで運動している自転においては、地球の重力(引力)が求心力となり、時速10万8000kmで運動している公転においては、その中心にある太陽の重力(引力)が求心力となっているから、その軌道から飛び出さないでいられるわけです。 それが静止している感覚の理由であるのです。 時速300kmの新幹線に乗っていても静止している感覚でいられるのは、慣性力(Inertia Force)が働いているからですが、時速300kmで動かせる力が遠心力であるのに対し、慣性力という求心力が相殺しているから静止している感覚でいられるわけです。 地球からの引力、太陽からの引力という求心力が、この運動(の光と音)の世界という150億光年の拡がりを持つ大宇宙の遠心力と相殺してくれているから、酔わずに正常にいることができるのです。 しかし実際には、猛烈な円運動の中にいるのですから、それだけの影響を受けていることは確かなわけです。 それを呼び起こしてくれるのが、夢に外ならないのです。 わたしたちはふたつの世界を生きていると申しました。 目が醒めているときの世界と、夢を観ているときの世界のふたつであります。 目が醒めているときの世界(所謂現実の世界)を、わたしたちは現実の世界だと思って生きていますが、この世界は求心力が働いて、静止した感覚でいられる世界であるのに対して、夢を観ているときの世界は求心力が働かないで、まさにコーヒーカップの中から外界を眺めて酔っている世界であるのです。 求心力が働いているから力のバランスが取れて静止した感覚でいられる。 運動の光と音(喧騒)の宇宙を生きるためには、この求心力の存在なくしては無理なのです。 それでは、地球の引力であり、太陽の引力である求心力が働くのはどういう状態であるのか。 ここが非常に微妙な点ですが、円運動の円周上−地球の表面−にいるわたしたちは、円周に沿って運動しています。 つまり水平運動しているので、運動の基本要因である時間も水平運動する時間であるのです。 つまり、過去から現在を通って未来に行くという、所謂わたしたちが普段考えている時間です。 しかし、それでは目がまわって酔ってしまいます。 そこで求心力の働きが要るのですが、求心力は円周に沿って働く力ではなく、円の中心に向かう垂直の力−向心力とも言う−であるのです。 従って、時間も水平方向ではなく垂直方向にならなければなりません。 つまり、過去・現在・未来という方向の時間ではなく、上下の方向の時間でなくてはなりません。 それが虚時間(Imaginary Time)であるのですが、虚時間の感覚を体験するには、過去・現在・未来という線の方向に目を向けずに、『今、ここ』という点に目を向けなければできません。 円運動が二次元平面運動であるから線方向であるのに対し、線運動は一次元運動であるから点方向であるのは当然であります。 点つまり、『今、ここ』しか、生きる術はないのであります。 『今、ここ』という垂直方向の虚時間と、過去・現在・未来という水平方向の矢である心理的時間である実時間(Real Time)の境界が特異点(Peculiar Point)であり、その向こうにあるのが事象の地平線(Event Horizon)という夢の世界であるのです。 |