Chapter 242 自己の探求

曹洞宗を開かれた道元禅師が著された正法眼蔵の中で、特に有名な一節があります。

仏道を習うと言うは 自己を習うなり
自己を習うと言うは 自己を忘るるなり
自己を忘るると言うは 万法に証せらるるなり
万法に証せらるると言うは 自己の身心および他己の身心を脱落せしむるなり
悟跡の休歇(きゅうけつ)なるあり 休歇なる悟跡を長々出ならしむ
人はじめて法を求むるとき はるかに法の辺際を離却せり 
法すでに己に正伝するとき すみやかに本分人なり
人船に乗りてゆくに 目をめぐらして岸をみれば 岸のうつると誤る
目を親しく船につくれば 船の進むを知るがごとく 
身心を乱想して万法を辧肯(はんけん)するには 
自心自性は常住なるかと誤る
もし行李(あんり)を親しくして箇裏に帰すれば
万法の吾にあらぬ道理明らけし


要するに学問をするということは、自己の内面を探求するしかないと言われているのです。
前のChapterで求心力が大切だと申しましたのは、結局外に目を向けずに、自己の内に目を向けることが何よりも大切であると言っているわけです。
しかし、人は外ばかりに目を向けます。
遠心力に気持ちが奪われてしまいます。
これは宇宙の法則からしても、円運動しているのだから仕方ないことなのです。
それよりも大事なのは、遠心力が働けば働くほど、つまり外に目を向けることが多くなればなるほど、自己の内に目を向け求心力を強く働かせることで、円回帰運動を全うさせなければならないことを知ることです。
現代社会は情報の氾濫で、わたしたちは目を外に向けることが大変多くなっています。
高度情報化社会の到来は、二元論の本質から鑑みれば、決して悪いことではないのですが、それを悪用する人間が、善用する人間よりもあまりにも多いのが問題であるのです。
特に、政治家、役人といった民主主義社会の権力者たちが一人これを悪用すると、一般のわたしたちが100人、1000人分悪用するのに匹敵するぐらい社会に悪影響を及ぼすことになるのです。
それだけに、現代社会に生きている者ほど、自己の内に常に目を向けることが肝要になるわけです。
所謂聖職者たちは、自己の探求を率先垂範しなければならない立場の人たちを言うのですが、それが率先垂範して金儲けに明け暮れ、外にばかり目を向けているのですから、話になりません。
総選挙が間近にあります。
この時期だけが、彼らにとって、わたしたち愚かな大衆が神さまになるのです。
白い手袋をした汚くて臭い立候補者たちが、街宣車の中から手を振り、愛想を振り撒く姿は、見るに耐えられません。
道元禅師の道場に立候補者たち全員を座禅させて、自己の内に目を向けさせたその姿を見て投票するような選挙制度にしたら、国会議員の半数以上が世襲議員だという狂気の国も少しはましになるのではないでしょうか。
宇宙は円運動をしている限り、遠心力が必要なのですが、膨張し続けることなく、いつかは反転して収縮過程に入ることで、円回帰運動に帰結させるには、求心力が必要であって、常に遠心力とバランスを取ることが非常に大事であるのです。
現代社会は、まさに反転の時期に突入しているようです。
従って、そういう時期に遭遇したわたしたちは、求心力を強める、つまり自己の内に目を向けることを心がけた生き方をすることが大切なのです。