Chapter 248 不測の事態の人生

不幸な出来事、幸運な出来事が一生の中で交互にやって来るのが人生でありますが、果たして予測し得たかと申しますと、99.999・・・%それは無理であったと言えるのではないでしょうか。
100%と言わなかったのは、予測した通りのことが起きることも有り得るからです。
結論から申しますと、『今、ここ』を生きていれば、予測は可能です。
しかし残念ながら、『今、ここ』を生きていれば、未来に想いを馳せることはないわけですから予測の観念すら起こりません。
非常に微妙なところですが、『今、ここ』を生きると徐々に精神の高みが加わって来て、自分独りだけの世界を鳥瞰することができるようになります。
より高い所に立てば、より遠くを見渡すことができます。
同じ目線にいた時には見えなかったものが、高い所に立つことによって見えてくる。
たとえば、あなたが恋人と午後1時にあるビルの正面玄関の前の通りで待ち合わせをしているとしましょう。
あなたが10分早めにやって来て正面玄関の前に立った。
恋人はその時、待ち合わせたビルの前の道路上500メートル離れたところを歩いている。
10分あれば、500メートル先のビルに間にあうわけです。
10分先にやって来たあなたは、500メートル離れた所を歩いている恋人が見えない。
恋人もあなたが見えない。
午後1時10分前の、あなたの世界には恋人はいないし、恋人の世界にもあなたはいない。
つまりお互い別の世界に生きている。
ここで、あなたが10分余裕があるから、前の通りを見渡すことができるビルの屋上に上がったら、500メートル離れた所−厳密には500メートルよりも徐々に距離は縮んでいる−にいる恋人を見ることができるわけで、その時点で、あなたの世界に恋人が入っていることになるが、恋人は知らないから見えないわけで、恋人の世界にはまだあなたは入っていない。
そこであなたが携帯電話で恋人に、ビルの屋上にいる自分を伝えると、恋人は離れたビルの屋上を見上げ、あなたを見つける。
そうすると、あなたと恋人は、ビルの正面玄関の前で午後1時に出会う前に、「ふたりの世界」に同時に(Contemporary)いることができる。
ContemporaryとはTemporary(一時的、つかの間、はかない)を共有する(Common)すると言う意味です。
そうしますと、刻々と近づく午後1時の場面が予測できるわけですが、これとてその10分近い間にハプニングが起こって事態の急変があるかも知れないわけですが、概ね予測した通りの出来事が起こるわけです。
比喩で申しましたが、同じ目線である限り、未来の出来事は100%予測不可能なのです。
立派なお坊さんが自分の死期を予測し得たのは、精神性を高めることによって自己の世界を鳥瞰した結果でしょう。
従って、過去や未来に想いを馳せて生きている限りわたしたちは、不幸な出来事は100%予測不可能で、突然襲って来るのです−幸運な出来事も同じです−が、的外れなことを取り越し苦労をして愚図愚図と喚いて生きておるわけです。
過去や未来に想いを馳せて生きることは百害あって一利もないのです。
『今、ここ』を生きることは、百利あって一害もないと言う二元世界ではなく、一利も一害もない一元世界、更に一利も一害も超えた三元世界への入り口でもあるのです。
この微妙な違いが、99.999・・・%と100%の違いであり、「有」、「色」と「無」、「空」の違いであるのです。
死という究極の問題を不測の事態と捉える水平線的拡がりの精神性で生きるか、垂直線的精神性の高みを目指す生き方をするか、それはあなた次第であるのです。