Chapter 249 不幸感覚の原因は携帯電話とテレビ

幸・不幸の感覚は、己の気持ち次第であることは充分承知のわたしたちであり、克服する方法は多くを知ることによって気持ちの整理をすることもわかっています。
ところが多くを知ることで、気持ちを整理するどころか余計混乱状態に陥ってしまうのが、わたしたち現代人であります。
不幸感覚を持って悶々と人生を過ごしているときに、同じ経験をしながら、その経験を幸福と捉えて生きている他の人間を知ると、一気に不幸感覚が吹き飛んでしまう。
「みんなで渡れば不幸も幸福になれる」わけです。
他人との目線を計りながら人間は幸・不幸の判定をしている。
自分自身は部長になることで充分幸福であったのに、友人が役員になったことを知って急に不幸感覚に襲われる人生。
副社長までなれて幸福の絶頂だったのに、嫌な奴が社長になった途端、不幸のどん底に落とされた人生。
少々肥満でも自分なりに納得して生きてきたのに、カマキリのような体型が流行してくると、生きているのが辛くなって自殺まで考える少女の人生。
数え上げれば切りが無いぐらい例があるのに、いざ自分のこととなるとままにならない人生。
これすべて、他人との比較、つまり目線を計る作業に外ならないのです。
“他人の存在が地獄を生む”とサルトルが言ったのは、まさに他人との目線を計り、自分の目線が下にあると、見下げられたような気持ちに勝手になり、勝手に不幸感覚に陥るわけです。
しかしそういった他人の存在が自分の視野に入っていなければ、どうってことはない気持ちでいられることも確かです。
自分独りだけの世界を生きている。
自分の人生という実舞台を彩る背景画面にしか他人は映らず、自分の実舞台には他人の介入は一切できないことを認識すれば、他人との目線を計るといった愚かなことはしなくなります。
情報が氾濫する社会になればなる程、他人との目線を計る物差しが増えてきます。
昨今の社会風潮は明らかに情報の氾濫による目線の計り合いが、その原因であります。
多くを知った不幸が蔓延している世相であるわけです。
自分の人生を彩る背景画面と同じ目線の映像を際限なく送り込まれる情報社会では、多くを知る不幸が発生するのです。
しかし、多くを知ることで幸福になれることも確かです。
それは言葉によって知ることです。
現代社会は見ることで知る世の中になりましたが、昔は聞くこと喋ることで、知る世の中でした。
拝金主義化した現代社会をつくった最大の原因は映像によってわたしたちを洗脳し続けるテレビでしょう。
高度情報化社会になる21世紀はコンピュータ社会であることは間違いありませんが、コンピュータがテレビと提携し、携帯電話と提携する時代が間もなくやってきます。
この映像という大きな洗脳の波を防ぐには、個人個人の自覚によるしか方法はありません。
科学を悪用した携帯電話・テレビと袂を分かつ決断が21世紀を救い、科学の善用による希望ある世紀にできる分水嶺であると言っても過言ではないでしょう。