Chapter 302 夢の中の夢(Reality within Reality)

夢の人生と、眠りの人生。
わたしたちは、このふたつの人生を交互に生きてきました。
「夢の中の眠り」という題名にしたのも、「Reality within Sleep / Dream within Reality」という英タイトルにしたのも、結局の処、眠った意識の中で、わたしたちは生きてきたことを伝えたかったわけです。
眠っている最中のことを現実だと思ったり、現実の最中で夢が展開しているわたしたちの意識は、まさに眠っているとしか言えません。
夢の中では夢と思い、現実の中では現実だと思えることが、意識が醒めた人生であります。
目が醒めている間は、わたしたちはそれを現実だと思っています。
ところが、ひとたび眠った途端に、次に目が醒めるまで、それまで現実のことだと思っていたことを完全に忘却の彼方に追いやってしまいます。
そして、眠りの人生を送ります。
つまり人生80年と考えますと、29200日の人生であるわけで、29200回の目が醒めた人生と、眠りの人生を交互に繰り返していることになります。
そして、眠りの人生では、目が醒めている間のことを完全に忘れていることに、わたしたちは気がついていません。
従って、目が醒めている間も、眠っている間のことを完全に忘れている筈です。
しかし夢が、それを繋いでくれている。
この点に注目しなければなりません。
夢を観なければ、眠っている間の出来事はまったく憶えていませんから、眠った途端に目が醒めます。
つまり時間の経過をまったく感じない、即ち時間が静止した状態にいるわけです。
しかし、夢を観ると、夢の中の余韻が、目が醒めたあとも残っていることは、誰もが経験している筈です。
つまり、不定時間の経過の中で眠っていたと思うのです。
つまり眠ったことを感じるのです。
そうしますと、眠っている間の人生は微かに夢が、目が醒めている間の人生との橋渡し役をしてくれていますが、目が醒めている間の人生を、眠っている間の人生に橋渡しをしてくれるものがないのが、わたしたちの29200日の人生であるわけです。
わたしたちの人生観の中で、眠っている間の29200回の人生、眠っている間を一日24時間の3分の1だとすると、29200日の人生の中の3分の1、つまり9733日は、空白の人生だと思っている所以であります。
眠ることで人生を逃避しようとする人間の性癖がここから生まれたのです。
それは人生観とは、その人の記憶に外ならないからで、記憶にない眠っている間のことは人生観に組み込まれていないのです。
夢はその眠りの間の人生を微かに意味あるものにしてくれている、非常に大事なものなのですが、その夢が思い出したくもないような悪夢だと、3分の1の人生が台無しになった気がするわけで、嫌な夢を観たあと実に不愉快な余韻を引き摺る原因はこの点にあるわけです。
悪い夢から醒めて、現実ではなかったことに気がつくと、ホッとして喜ぶ筈なのに、どうして嫌な余韻が残っているのでしょうか。
楽しい夢から醒めて、現実ではなかったことに気がつくと、ガッカリする筈なのに、どうして楽しい余韻が残っているのでしょうか。
どうやら、わたしたちは、眠りの人生を充分に理解していないようであります。
人生の3分の1は決して無駄なものではないのです。
そうしますと、残りの3分の2の目が醒めている間の人生も充分に理解していないと考えた方がよいのではないでしょうか。
眠っている間の出来事を微かに、目が醒めている間に引き渡してくれるのが夢であるということは、目が醒めている間の出来事を、眠っている間に引き渡してくれるのも夢だと考えればいいわけです。
しかし、前述しましたように、わたしたちは、目が醒めている間の出来事を、眠っている間に引き渡しをしていません。
眠ったが最後、完全に忘却してしまいます。
眠りの中での夢のように、目が醒めたあとの余韻すら残してくれません。
その原因は、目が醒めている間は、夢を観ていないからかもしれません。
しかし、わたしたちが眠っている間は必ず夢を観ていることを、科学が立証しています。
眠っている人間の脳波を測定することで、REM睡眠とNon−REM睡眠とを交互にしているのが、睡眠のメカニズムであることが判明していて、REM睡眠中に夢を観ているのです。
夢を観ていないというのは、余韻が残っていないだけ、つまり忘れてしまっただけに過ぎません。
そうしますと、目が醒めている間も夢を観ているのだけれども、眠ってしまった途端に忘却してしまっているのが実態であることに気がつく筈です。
わたしたちは、眠っている間だけではなく、目が醒めている間も夢を観ていたのです。
夢を観ている間は、現実だと思い込んでいるわたしたち。
夢から醒めてはじめて、夢だったと気がつくわたしたち。
では、目が醒めている間の出来事を現実だと思い込んでいるわたしたちは、夢の中の人生を送っていることにはならないでしょうか。
そして、眠った途端に夢だったと気がつく筈ではないでしょうか。
完全に眠っている人は、夢を観ていることすら気づかずに目が醒めます。
結局の処、眠っている3分の1の人生では、完全に眠っている人と、半分眠っている人つまり夢を憶えている人との二種類がいるのですが、目が醒めている3分の2の人生では、わたしたち全員が完全に眠っているのです。
完全に眠っている人は、他の生き物と同じで一元世界に生きているのです。
人間の子供たちがそうです。
眠っている間だけ、半分眠っている人こそ、人間の人間たる所以であり、エデンの園から追放された知恵の実を食べた原罪の生き物であり、大脳に新皮質がある生き物で、二元世界で四苦八苦している生き物なのです。
目が醒めている間も、夢を観ていることに気づいた人こそ、三元世界に生きることができるのであって、「夢の中の眠り」(Reality within Sleep /Dream within Reality)ではなく、「夢の中の夢」(Dream within Dream)即ち、「現実の中の現実」(Reality within Reality)を生きることができるのです。
般若心経の「色即是空、空即是色」の色とはRealityであり、空とはDreamであり、「色即是空、空即是色」とは「夢の中の眠り」(Reality within Sleep / Dream within Reality)に外ならないのです。