Chapter 309 蝶々か?蛾か?

老荘思想として有名なほどですから、老子の弟子・荘子も立派な方だったのですが、荘子があるとき夢を見た。
夢から目が醒めて憂鬱な表情をしていた荘子を見て、弟子が質問した。
「どうしてそんなに憂鬱な顔をしておられるのですか?」
荘子は答えた。
「わたしが蝶々になって飛んでいる夢を見たのだ」
弟子は荘子の言っている意味が理解できずに更に質問した。
「夢の中で蝶々になって飛べたのだから素晴らしいではないですか。それにそれは夢だったのですから」
荘子は、意を決して弟子に告白した。
「憂鬱な気持ちでいる理由は、荘子が夢を観て蝶々になったのか、蝶々が夢を観て荘子になって、お前とこうやって話をしているのか、どっちが現実でどっちが夢なのかがわからなくなってしまったことなのだ。果たして本当の自分は、荘子なのか、それとも蝶々なのか、それがわからなくて憂鬱になっているのだ」
退廃した日本の実態をいくつかのChapterを割いてお話しました。
まともな良心を持っておられる方々なら、この国の政治家や役人、その他拝金主義に汚染された連中の不条理さに義憤を覚えられるでしょう。
しかし、それが実体であり、現実だと思っているわたしたちが一番問題であるとは思われないでしょうか。
現実だと思うと、わたしたち人間は受け入れてしまう悪癖があるようです。
「仕方ない、それが現実なんだ」
しかし、それが夢であれば問題にするようです。
「こんな夢を観た。それが事実だったらとんでもないことだ!」
本来なら逆である筈です。
「こんなことが現実なら、由々しき問題だ。夢でよかった!」
荘子が言いたいのはこの点にあるのです。
結局の処、わたしたち人間は、とことん『今、ここ』を生きることをせずに、先延ばしして生きていく悪癖を持っているのです。
夢の中でのことなら、問題を直視するのに、現実だとすぐに先延ばししてしまうのです。
ところが夢の真最中のときは、現実だと思っているのですから、やはり先延ばしているおるわけで、「ああ夢だった!」と余韻がある、夢から醒めた直後だけ、「こんなことが現実なら、由々しき問題だ!」と義憤に燃えておるだけなのです。
だから人間社会は一向に良くならないで、ますます悪くなっていくのです。
荘子が、本当の自分は、蝶々なのか、それとも人間・荘子なのかと問うてみたように、わたしたちひとりひとりが自分に問いかけてみることが先決のように思うのであります。
そうすれば、こんな不条理な国が夢の話なら済まされるが、現実なら決して許すべきではないと真面目に義憤を持つ国民になる筈です。
拝金主義に汚染されているのは、彼らだけではないのです。
わたしたちひとりひとりが、お金に毒されているのです。
彼らは頭がよくて、わたしたちは頭が悪い、それだけの違いなのです。
ちょっと事情が変わると、すぐに彼らの側にまわって同じようにお金を貪るわたしたちであるのです。
そんな機会があるかも知れないと、心の片隅で期待しているから、「仕方ない、それが現実なんだ」と嘯いておるのです。
結局、同じ穴の狢であるわけです。
本当の自分は、蝶々という「私」なのか、それとも人間である「わたし」なのか、そこのところをはっきりさせなくてはなりません。
美しい蝶々か、気持ち悪い蛾なのか、そんな問題ではないのです。