Chapter 313 科学に基づく公正理論(II)

機会の平等は、結果の不平等(差別化)を生み、それを自由主義と言います。
結果の平等は、機会の不平等(差別化)を生み、それを民主主義と言います。
この二つのイデオロギー(考え方)が最大の対立軸となって、そこに科学が片棒を担いできたのが、20世紀近代社会でありました。
つまり自由主義と民主主義は二元論的で二律背反関係にあるにも拘らず、近代社会は恰も共存関係にあるものと勘違いしてきた。
機会の平等は、結果の不平等(差別化)を生み、それを自由主義と言うことは、誰でも理解し易いのですが、結果の平等は、機会の不平等(差別化)を生み、それを民主主義と言うのが理解できなかったのです。
“共産主義は、資本主義よりも、より民主主義的だ” と盲信した共産主義者の誤りは、結果の平等を追いかける余り、機会の不平等を生むことを理解できなかった点にあるのです。
結果の平等を重視する余り、私有財産を禁ずることによって、人間のやる気を削いでしまい、自由競争原理を貫く資本主義との経済競争に負けてしまったのは当然の結果であります。
結果に希望−即ち差別化が生じるのを望むこと−の持てない人間と、結果に希望の持てる人間との違いは、努力する意欲の差として歴然と顕れたのです。
努力する意欲の差こそ、機会の不平等に外ならないことを、共産主義者たちは気づくべきだったのです。
努力する意欲は、人間の情念(欲望)の世界の話であって、イデオロギー(考え方)で片づけることは不可能なのです。
わたしたち人間が悩み、苦しむ、四苦八苦する原因は、人間が持つ本能的欲望と知的欲望(人為的欲望)、つまり煩悩が為せる業であって、資本主義思想であるから煩悩があり、共産主義思想に変われば煩悩が消え失せるわけではないのです。
理想主義の共産主義者たちは、それが可能だと考えた。
だから、宗教に対抗して、宗教を麻薬だと切って捨てたわけです。
一方、実務主義の共産主義者たちは、人間の欲望つまり煩悩を失くすることなど不可能であることを知っていた。
だから、個人支配(立憲君主制)を否定することで民主主義を標榜する一方、集団(組織)による独裁(専制)似非共産主義、つまり官僚指導独裁体制をつくったわけです。
官僚指導体制は、一部エリートに期待する啓蒙思想と気脈を通じるのは必然です。
近代化競争の切り札である科学力において、イギリス・アメリカに産業革命で遅れを取ったドイツ・オーストリア・ハンガリー帝国、フランス、ロシアなどは、一部エリートを育てることによる効率化を図った結果、啓蒙思想に傾いていったのです。
そしてフランス革命、ロシア革命が起こり、新生ロシアが共産主義思想の盟主となり、ソ連という国が誕生したのですが、結局は啓蒙思想による官僚集団(全体)主義体制国家になっただけであり、延いては機会の不平等の極みである、ノーメンクラツーラという陰湿な特権階級を水面下でつくってしまうのです。
結果の平等を標榜しながら、一旦エリートになれば、子々孫々永遠にノーメンクラツーラという特権階級に甘んじることができるという、まさに機会の不平等が罷り通る社会であったのです。
この原因は、人間の煩悩をイデオロギー(考え方)で解決できると錯覚した、頭でっかちのエリートにあったのです。
官僚指導によって構築された明治以降の近代日本の辿った道は、ソ連の辿った道と酷似していると言えるでしょう。
結果の不平等よりも、機会の不平等の方が、遥かに不平等さの程度が大きいから、民主主義思想が生まれたにも拘らず、結果の平等を追求する余り、機会の不平等を水面下で醸成してしまう皮肉をも、民主主義思想は抱えていたのです。
昔の賢人は、それを衆愚政治と称したのです。
結局の処、自由主義と民主主義は所詮二律背反関係であって、理想のものにはなり得ないのです。
二律背反関係の二元要因を超えない限り、この問題解決の道はないのです。
機会の平等と、結果の平等を両立するためには、機会の平等と結果の平等を超える理論を打ち立てるしかない。
それが科学に基づく公正理論ではないかと思うのであります。