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Chapter 314 死ねば一切合財が無 死後の世界は果たしてあるのでしょうか。 わたしたち人間の究極のテーマであります。 わたしたちが住んでいる宇宙は、150億年前にビッグバンという大爆発によって誕生しました。 それでは、150億年以前の宇宙はあったのでしょうか。 そのヒントは、わたしたちの死後の世界より、誕生以前の世界の中に見出すことができるのです。 まだ死んだ経験のない、わたしたちにとって、死は未だ来ぬ未来の未知のことであります。 既に誕生した経験のある、わたしたちにとって、誕生つまり生は、既に過ぎ去った既知のことであります。 わたしたちは、父親の精子が母親の卵子によって受精されることによって誕生しました。 つまり母親の卵子が、誕生以前の世界であったことになります。 では卵子はずっと母親の子宮の中にあったのかというと、そうではなくて排卵という時期に誕生し、毎月の月経の時期に体外に捨てられる繰り返しをしているわけです。 ここにも生と死の繰り返し運動が為されている。 そうしますと、結局の処、誕生とは、無から有があらわれることに外ならないことがわかってきます。 わたしたち生き物も、結局の処、無の世界から誕生したのです。 ビッグバンによって誕生した、わたしたちの宇宙も、結局の処、無から誕生したと言えるでしょう。 わたしたち人間にとってのビッグバンとは、母親の子宮内で、父親の精子が母親の卵子に受精されることに外ならないのであります。 そしてビッグバン以前の世界はと申しますと、無の世界であったわけですが、空の世界と言ってもいいでしょう。 空の世界とは、Empty(から)の世界であります。 静止の暗闇と沈黙の世界こそ、無の世界であり、空の世界である、絶対宇宙の世界であるのです。 すべてが静止している、光も音もない宇宙が、無の世界であり、空の世界であります。 だから、わたしたちが生きている世界は、すべてが運動している、光と音(喧騒)の宇宙なのです。 そしてすべてが、円回帰しているのですから、わたしたちの宇宙も、わたしたちも、誕生したところへ戻る、つまり死後とは誕生以前と同じであると言えます。 そうしますと、わたしたちの死後の世界も、結局は誕生以前の無の世界であると言えるでしょう。 無の世界は、静止の暗闇と沈黙の世界です。 そこには、神も悪魔も天使も閻魔大王も天国も地獄もありません。 何故なら、すべてが静止の暗闇と沈黙の世界であるのですから。 閻魔大王が、悪行三昧をしてきたわたしたちをお仕置きすると言っても、どうやってお仕置きをするのでしょうか。 地獄は想像を絶する魂の苦痛の世界だと言っても、どうやって苦痛を感じ、苦痛を表現するのでしょうか。 地獄で苦しむ霊や魂が、静止の暗闇と沈黙の世界から、どうやってこの世に化けて出て、わたしたちに囁くことができるのでしょうか。 実に馬鹿げた話だと思われないでしょうか。 結局の処、無から有が誕生して再び無の世界に戻る。 ただそれだけであります。 生とは一切が動くことである。 死とは、一切が動かなくなることである。 一切とは肉体も精神も一切合財であります。 精神、想い、心、霊、魂、一切合財であります。 最近の科学−ミクロの世界を探求する量子力学−で、想いも波動であり、エネルギーであると言われ、宗教の世界でも想いはエネルギーだと言われています。 エネルギーであるものはすべて肉体と同じ物質であります。 すべての財が合わせて一切無になるのが死であります。 相続や世襲という考えが、如何に宇宙の生死の法則(掟)に反しているか一目瞭然であります。 無と有の繰り返し。 それがあの世とこの世の実態であり、この世とあの世は、死後の話ではなくて、日常の中で、すべてが無と有の繰り返しをしているのです。 呼吸ひとつを取ってみても、吸うことが生つまり有であって、吐くことが死つまり無である繰り返しであるのです。 すべてが無と有の繰り返しであるということを以って輪廻転生と言うのであれば、それは真理と言えるでしょう。 しかし無の世界に天国と地獄があるなどと言えば、それは馬鹿げた話になるのは自明の理であります。 死ねば一切合財が無になるのです。 |