Chapter 315 人生の四季

わたしたち人間は、生命を得た限りは必ず使命があり、使命を果たすと晴れて死ぬ、つまり寿命がくるわけです。
従って、死んだ人は必ず使命を果たしたことになります。
ただ問題は、自分の使命を果たしたという認識を持てる人と、持てない人がいることで、殆どが持てないで死んで行く。
使命を果たしているにも拘らず、認識を持てない人は、自分の死期を知らずに死んで行く、つまりある日突然、死が襲ってくる。
使命を果たしたという認識を持てる人は、自分の死期を知ることができるから、死を迎えることができる。
予期不可能な未来の出来事の中で、死がやってくることだけは間違いないということを知った、わたしたち人間にとっての権利は、死期を知ることであります。
これは自然の法則です。
死ということを知らないものにとっては、死期を知る必要もありません。
死ということを知ったものにとっては、死期を知る権利があるのです。
従って、知的動物として死ぬことを知ったわたしたち人間は、自分の死期を知る権利があるのです。
しかし、殆どの人間が、自分の死期を知らないで、ある日突然死んで行くのです。
そうしますと、使命を果たせたか、果たせなかったかということが問題ではなくて、使命を果たしたという認識を持てるか、持てないかが問題であることがわかってきます。
逆に考えれば、使命を果たさない限り、わたしたち知的動物・人間は死ぬことができないのであります。
明治維新の功績者である吉田松陰についてお話したことがあります。
彼は、人間にはみんなそれなりの人生の四季というものがあり、10才で死んで行く人間には、10年の人生の中での春夏秋冬があり、80才で死んで行く人間には、80年の人生の中での春夏秋冬があると言って、30年という自己の春夏秋冬という人生の四季を全うしました。
つまり彼は、自己の使命を果たしたという認識を持っていたから、自己の春夏秋冬という四季を知り、語呂合わせではありませんが、自分の死期を知ったのです。
死というものを知った唯一の知的生き物・人間が、死を知った故に、その人生が四苦八苦のものになったのであれば、他の生き物のように、死を知らなかった方がましであります。
四苦八苦はするけれど、それに報いるだけの価値がなければならない筈であります。
その褒美が、死期を知り得ることに外ならないのです。
ところが、わたしたちの殆どは、死期を知り得ないで、ある日突然襲ってくる死に怖れ戦いておるわけです。
四苦八苦だけはして、その褒美である死期を知り得ることもできないのであれば、そんな人生は合点がゆきません。
しかしその責任は、他でもない自分の認識の無さに原因があるのです。
わたしたち人間はみんな必ず、死というものを知った時期があります。
わたしの場合ですと、6才の時の出来事であったソ連の水爆実験と、14才の時の出来事であった同じソ連の50メガトン水爆実験を知った時でした。
実はその時に、わたしの使命は明らかにされたのであり、使命を果たす人生がスタートしたのであります。
振り返ってみますと、それ以後のわたしの人生は、この出来事をトラウマとして抱えてきたことがはっきりしてきます。
そして自己の人生の春夏秋冬という四季を意識しながら生きてきたように思います。
手前味噌のお話をして申し訳ありませんでしたが、みなさんも、わたしが経験したような出来事が必ずあった筈であります。
死を知り、使命を知り、春夏秋冬という四季を知り、そして死期を知る。
死を知った唯一の知的生き物・人間の生命・使命・寿命の円回帰のサイクルを是非とも知って頂きたいと思うのであります。