Chapter 316 神の存在性

生とは、無から有への変位であり、死とは再び有から無への回帰であると申しました。
従って、わたしたちの原点は無にあるわけで、有はその円回帰運動の通過点であるのです。
円を考えてみればよくわかるのですが、鉛筆で円を描いてみると、始点があって、そこから円を描き始めて、終点すなわち始点に戻ってくるまで、鉛筆は動き続けなければ終点に辿り着くことはできません。
始点と終点は同じ場所で、その間は中心から一定の距離を保って動き続けないと円を描くことはできません。
宇宙を貫く運動の法則の基本は、この円運動です。
ところが、完全な円運動をしているなら、宇宙は膨張も収縮もしない筈ですが、わたしたちの宇宙は150億年間膨張し続けてきたのです。
そうしますと、宇宙は単純な円運動をしているわけではないということになります。
つまり渦巻き状に運動しているようです。
渦巻き状に運動するということは、基本的には円運動をしているのですが、同時に放射状の線運動もしていることになります。
どうやらわたしたちの運動の光と音(喧騒)の宇宙の基本運動は、突き詰めてみれば渦巻き状の運動、つまり。
(1) 円運動
(2)放射状の線運動
というふたつの運動の組み合わせによって成立していると言えるでしょう。
そして、アインシュタインの、Gij=(8πG/C4)Tijという空間の歪み度(Gij)は、空間に存在するエネルギーの総量(Tij)に比例するという相対性理論の方程式に基づけば、放射状の線運動は一方通行つまり膨張だけではなくて両方通行つまり膨張と収縮の繰り返し運動をすることになるわけです。
こういった結論を出せたのが、つい最近ノーベル賞をもらった小柴さんのニュートリノの質量測定の成功であったわけです。
わたしたちの運動の光と音(喧騒)の宇宙は、円運動をしながら放射状線運動の繰り返しをすることがわかったのです。
それを一言で言いますと、円回帰運動になるのです。
2次元の回転運動をしながら、1次元の線運動もするなら当然放射線状の運動になり、それがまさに渦巻運動になるわけです。
地球が完全な球ではなくて楕円状の球であると言われるのも、太陽のまわりを回る公転運動も完全な円ではなく楕円状に回転していると言われるのも、回転しながら膨張する渦巻運動をしていることに外ならないわけです。
そして、現時点では膨張しているが、いつか収縮に転ずるわけですから、その渦巻は、渦巻の中心から膨張をし始め、収縮に転じて再び渦巻の中心に戻ってくる。
無という中心から膨張することで、渦巻という有が誕生し、膨張と収縮を経て再び中心に回帰することで無に戻る。
運動する宇宙と、静止している宇宙との関係は、この無と有の繰り返し運動に外ならない。
現時点においては、わたしたちの宇宙は円運動しながら膨張運動もしていますから、有の状態でありますが、いつか円運動をしながら収縮運動に転ずる結果、膨張運動に要した時間を経て中心に戻り、再び無の状態になるわけです。
従って、運動の光と音(喧騒)の世界は円そのものであり、静止の暗闇と沈黙の世界は円の始点であり終点であると言えるでしょう。
宇宙が誕生し、膨張と収縮を経て、死んでいく。
無から有が誕生し、そして再び無に戻って行く。
星が誕生し、膨張と収縮を経て、ブラックホールになって死んで行く。
ところが、ブラックホールとなって死んで行った星や宇宙が、ワームホールといういわゆるタイムトンネルを通ってホワイトホールとなって別の星や宇宙となって誕生する。
このワームホールこそ無の状態である静止の暗闇と沈黙の絶対宇宙であり、そこはまさにタイムトンネルですから、時間を超越した五次元世界であるわけです。
その様相は恰も、あの世とこの世の関係に酷似しているように思われ、輪廻転生の考え方に符号しているようにも思われます。
無という果てのない世界。
神が天地創造主であるならば、それでは神を創造したのは誰か。
こういった鼬ごっこに終始符を打つには、ブラックホールという星や宇宙の死の後に、ワームホールという無の世界を通過して再びホワイトホールとなって新しい星や宇宙として誕生するということが、果たして21世紀に解明されるかに掛かっていると言ってもいいでしょう。
神という言葉は人間の造語でありますが、人知を超えた存在という意味で神と定義するなら、神の存在性を21世紀中には解明できるかも知れません。
そのためにも、科学と哲学・宗教が手を結ぶことが絶対条件であります。