Chapter 317 地獄の九丁目

わたしたちの宇宙は、渦巻運動をしている。
つまり円運動と放射状の線運動を同時にしていると申しました。
ビッグバン−人間で言えば受精の瞬間−という爆発によって、無の宇宙から有の宇宙が誕生して150億年が経過しているのが、わたしたちの渦巻状の宇宙であるのですが、今までは膨張し続けてきました。
いずれ収縮に反転して、元来た道を戻って、ビッグバンを起こした始点に戻って有の宇宙から無の宇宙に帰るわけですが、始点においては宇宙の誕生・ビッグバンであったのが、終点になると宇宙の死・ビッグクランチとなるのです。
ビッグバンという始点と、ビッグクランチという終点が、生死の境界点であり、無と有の境界点でもあるのです。
人間で言えば、受精がビッグバンであり、死がビッグクランチであるわけです。
ビッグバンからビッグクランチの間は、円回帰運動即ち円運動をしながら放射状線運動をし続けるのです。
そしてこの放射状線運動こそが、時間の流れに外ならないのです。
わたしたちの住んでいる宇宙では、三本の時間の矢があると物理学の世界では言われています。
(1)過去から現在を通過して未来へと流れる心理的な時間の矢。
(2)宇宙に遍在するエネルギーは、時間と共に使用前のエネルギーから使用後のエネルギーつまりエントロピーへの流れの矢。
(3)宇宙は時間と共に膨張し続けるという流れの矢。
この三本の時間の流れの矢こそ放射状線運動に外ならないわけです。
わたしたちは、時間の流れは過去から現在を通過して未来へと流れる一方通行が当たり前だと思っていますが、実は宇宙が膨張している間だけのことであって、収縮に反転すれば心理的な時間の矢も反転して、未来から現在を通過して過去へと流れる一方通行が当たり前になるのです。
わたしたちは、過去は過ぎ去ってしまって取り返し不可能であり、未来は未だ来ないから予測不可能だと思い込んでいます。
しかし、宇宙が収縮に転じたら、過去が予測不可能になり、未来が取り返し不可能になるのです。
わたしたちの人生が四苦八苦の悩み・苦悩の多きものであるのは、取り返し不可能である過去を取り返そうとする不可能な想い(連想)と、予測不可能である未来を予測しようとする不可能な想い(連想)が、その原因であるのです。
不可能を可能にしようとするのですから、これはいくら挑戦してみても負けるのは必定であります。
つまり、わたしたちの四苦八苦の原因は、時間に不可能な闘いを挑んでいるからに外ならないのであります。
宇宙が膨張している間は、時間は過去から未来への流れ、エネルギーは使用可能なエネルギーから使用不可能なエネルギー(エントロピー)への流れ、これは変えられないのであります。
ところが、わたしたちは過去のことに想いを馳せては何とかしようとし、未来のことに想いを馳せては何とかしようとするから、四苦八苦するのです。
何とかなるのは、過去を現在にまで呼び戻す、未来を現在にまで呼び戻すことによって、過去・現在・未来の境界がなくなった点つまり、『今、ここ』しかないのです。
宇宙が膨張していようが、収縮に転じようが、『今、ここ』だけは変わらないのであります。
収縮に転じたら、わたしたちは過去に取り越し苦労をして、未来に悔やむことをするだけのことであります。
「神の自叙伝」で、「想い」が宇宙に遍在し、人間にも「想い」があるように、地球にも「想い」があり、太陽にも、星雲にも、宇宙にもみんな「想い」があると申しました。
この「想い」こそが、神ではないかと申しました。
わたしたちは地球に住んでいるのですから、地球の「想い」こそが、わたしたちの当面の神であり、地球の「想い」を大切にしなければならないと申しました。
この「想い」こそが、放射状の線運動をする時間ではないでしょうか。
そして放射状の線運動が止まる時つまり時間が止まる時が、有から無への回帰であり、ビッグクランチであり、死ではないでしょうか。
従って、わたしたちの一生においても、膨張時期と収縮時期があり、時間の流れである「想い」も反転する時期があり、最後に死を迎えるのではないでしょうか。
そうしますと、過去から未来へと一方通行の時間の流れが反転する時期も死ぬまでには、必ずあるということになります。
そして最後の死に臨んで、『今、ここ』に立たざるを得なくなるのです。
『今、ここ』に立つ経験を常日頃から積んでいないと、いざ死に臨んでジタバタすることになります。
それが地獄の九丁目であります。