Chapter 322 昴(すばる)の冬

河川敷舞台で踊り狂う河原乞食と、河川敷観客席で搾取されている一般大衆(マス乞食)との関係が、宗教の世界では教祖と信者の関係であり、資本主義経済の社会では供給者側と需要者側の関係−景気は供給と需要の関係で決まるという資本主義の論理は真っ赤な偽りであり、常に供給者側の論理が支配的であるのが資本主義そのものの思想である−であり、社会主義経済の社会では特権階級側と一般労働者−資本主義社会で組合組織つまり幹部と一般組合員という関係で残像しているのは、社会主義とはまさに資本主義の妬み心理から発生した同類であることを物語っている−の関係であり、中世世界での王家・祭祀側で構成する荘園制度の地主側と肉体労働を切り売りする小作農民との関係であり、古代社会での奴隷支配者側と奴隷の関係に外ならないのであります。
結局の処、人類の文明は古代、中世、近代と恰も進化したかの如く思われ勝ちでありますが、根っこのところでは何ら変わっていないのです。
やはりここにもエネルギー保存の法則が厳然と働いているようです。
エネルギーの総量は不変であり、ただ使用不可能なエントロピーに変位しているだけのことなのかも知れません。
そうしますと、ますます使用不可能なエネルギーであるエントロピーが蔓延しているのが現代社会であり、河原乞食といった偽物が横行しているのは、エントロピーの増大現象と捉えるべきなのでしょう。
世襲制度によって、有形財産のみならず本来相続不可能な無形財産まで相続している政治家・役人・教育者・医者・宗教者そしてその末端に座る河原乞食と共生関係で構成されているマスメディアの連中たちは、まさに増大した使用済みエネルギーのエントロピーであるのです。
自然世界の法則に、「強者(勝者)必衰の原理」というものがあります。
嘗て恐竜時代、恐竜が滅亡したのは、余りにも彼らが強過ぎて、結局最後は共食い状態になって滅亡していった。
エントロピーは希少である内は存在価値も見出すことができるのですが、エントロピーで埋め尽くされたら、恐竜の共食いと同じ現象が起きるのは必定であります。
資本主義社会が成り立つのは、資本家側が希少である間だけであります。
世襲・相続制度によって、ねずみ講式に資本家側が増大すれば、エントロピーが極大化していくのと同じ現象が起こるのは当然で、使用可能な有用エネルギーは枯渇してゆく結果、強者(勝者)必衰の原理が働くことになります。
20世紀末から21世紀初頭の現在は、まさにこういった現象が随所で表れていると言えるのではないでしょうか。
この問題を解決する方法は、やはり自然世界の法則の中にあります。
「食物連鎖の原理」がそうです。
数の少ないライオンは数の多いシマウマを食べ、数の多いシマウマは草を食べ、草は死んだライオンの肉体を肥料にする。
ライオンが滅亡すればシマウマは無尽蔵に増え、彼らは草を食い尽くし、草原は砂漠化し、結局ライオンもシマウマも草も滅亡する。
そのバランスを維持するのが、「食物連鎖の原理」であるわけです。
エントロピーが増大すればバランスが崩れ、「食物連鎖の原理」が崩れ、世界は一気に砂漠化に進みます。
このアンバランスを生み出す最大の原因が、拝金主義であり、世襲・相続の概念であるのです。
世襲・相続の概念は拝金主義思想のドグマ(教義)であることを認識すべきであります。
しかし現在の時代の真暗闇は夜明け前の現象であり、夜明けは間もなくやってくるでしょう。
文明の一周期は、一昴(すばる)とChapter280で申しました。
1万数千年ぶりにフォトン・ベルトに突入した太陽系惑星群。
わたしたち人類の文明の周期である一昴(すばる)の冬に差しかかっているのが2010年前後の現在であるかも知れません。