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Chapter 328 天国か地獄か 万物流転。 天地間のすべてのものは、流動変化してきわまりないということ。 流転。 流れ移ること。移り変わること。 そして仏教用語として、生死因果の絶えず輪転してきわまりないこと。 広辞苑にはそう解説されています。 流転という文字だけで回転する意味が込められているにも拘らず、仏教用語になって、やっと「輪転」する、つまり回り転がるという円運動を示す説明が出てくるだけで、一般用語では回転するという説明がありません。 「神はすぐ傍」という作品から、この「夢の中の眠り」の中で、宇宙つまり天地間のすべてのものは円回帰運動をしていると、一貫して申してきました。 要は万物流転と言っているわけで、何も目新しいことではないのですが、広辞苑にも、仏教用語としてはじめて輪転という何か無機的な言葉で説明されておるだけで、一般用語としては単に移り変わるという程度の説明だけで終わっているのです。 しかし、それでは天地間つまり宇宙の運動を正確に説明してはいないのです。 宗教や哲学といった−難しい言葉で言うと−形而上学の世界とも、また科学といった形而下学の世界とも無縁の世界が、わたしたちが普段生きている一般の世界であると捉えられているから、一般用語として説明されていないのではないでしょうか。 わたしたちが生きている世界は、さしずめ形而中学の世界と言えるのでしょう。 特に仏教を含めて宗教用語は、一般用語とははっきり区別しておくという意図がありありと窺え、無宗教国家・日本の面目躍如たる思いがするのです。 更に、科学の世界は、宗教・哲学の世界と対立する立場をとっているという解釈をしているから、科学の世界の常識も一般常識とは一線を画している立場をとっている。 つまり形而上学の世界も形而下学の世界も、わたしたちが生きている現実の一般世界とは無縁のものであると、広辞苑の著者は言っておるのであります。 わたしたち日本人は、長い歴史の中で知らず知らずのうちに宗教・哲学の世界とも無縁で、科学の世界とも無縁な、極めて狭い世界を一般の世界、即ち、「この世」として教育されてきたのです。 欧米のキリスト教世界や、中東のイスラム教世界では、先ず「新約聖書」、「コーラン」ありきの世界で、もちろん辞書はありますが、「新約聖書」や「コーラン」の教えに反するような解釈は決してなく、言葉のルーツは殆ど「新約聖書」や「コーラン」から来ているという立場をとっています。 従って、これらの国の辞書には、日本で言う「仏教用語」に当たる「キリスト教用語」、「イスラム教用語」といった説明は決してありません。 どちらが正しいといった論議をしているわけではなく、近代世界をリードしている20億人近い欧米キリスト教社会や、産油国として世界経済に大きな影響力を持つ16億人のイスラム教世界の常識と、1億人程度の日本社会の常識との違いを言っているのです。 欧米やイスラムの世界が、宗教を基本にした形而上学世界観であるのに対して、日本の世界観が科学を基本にした形而下学世界観であるならば、彼らと対立する立場であっても理解はされるのですが、どちらの立場もとらない世界観が一般日本人の立場であるから、彼らはわたしたちを正体不明の、何を考えているかわからない不気味な人種と捉えるのです。 ではそんなわたしたち日本人は、どちらの側にも付かない立場に立っていると自覚しているでしょうか。 どちらにもつかない形而中学世界観は、実は二つあることを認識しているでしょうか。 宗教を基本にした形而上学世界観。 科学を基本にした形而下学世界観。 この二つを対立軸にした世界が二元論の世界です。 この二つをまるで知らない無知の世界が一元論の世界です。 この二つを完全にマスターした既知の世界が三元論の世界です。 欧米社会やイスラム社会は、形而上学世界と形而下学世界を対立軸にした二元論の世界だから、アラーの神を絶対視するイスラム社会と、科学の力で近代化の先頭を切ってきた欧米社会とが対立するわけですが、そういう欧米社会もキリスト教でがちがちになっている社会でもあるのです。 資本主義思想の中の一つとして生まれた社会主義思想の国々が共産主義圏として冷戦を戦ってきた20世紀は、まさに内輪揉めの骨肉の争いに外ならなかったのと同じで、所詮宗教の下での内輪揉めに過ぎないのが実態であると言えるでしょう。 それが世界の実態であるのに対し、日本はまるで龍宮城に行った浦島太郎の世界のように思われていることを、わたしたちは知らなくてはなりません。 彼らの世界観が決して良いと言っているのではありませんが、日本人の世界観は、二つの選択肢があって、その差は天国と地獄ほどの違いがあるのです。 一元論世界である無知の世界観を選択するなら、世界は日本を畜生扱いするでしょう。 三元論世界である既知−形而上学世界と形而学世界、両方の世界観をマスターした−の世界観を選択するなら、世界は日本を尊敬するでしょう。 エコノミックアニマルと言われ続けてきた日本は、所詮畜生扱いされてきたのです。 「流転」という言葉の説明に、「宇宙はすべて回転運動且つ回帰運動つまり円回帰運動しているように、天地間に存在する人間も含めてすべてのものも、円回帰運動をしているのであって、物質も心もすべて無常、即ち揺らぎ変化して、一つのところに止まっていないことを言っている」と辞書で説明されているような国であれば、三元論世界観の国であると評価されるでしょう。 このままですと、エコノミックアニマル(経済獣)だけではなく、カルチュラルアニマル(文化獣)とも言われかねません。 三元論世界を目指すには、科学と哲学・宗教の統合をするしか道はありません。 真の共産(主義)社会とは、二元論世界観のひとつである資本主義思想や、その延長線にある社会主義思想にあるのではなく、二元論世界観を超えた三元論世界観の中にあるのです。 |