Chapter 331 尊敬される国民たれ(II)

尊敬の念が湧いてくるのは、自分がやりたくても出来ないことを、努力の積み重ねによってやり遂げた人に対してではないでしょうか。
努力の積み重ねではなくて、才能によって為されたことは、驚嘆や憧れの気持ちは起きても、尊敬の念を持つまでには至りません。
結局の処、尊敬の念とは、やり遂げた内容も大事ではあるが、それよりもその過程における努力に対する賞賛と言っても過言ではありません。
人間という生き物ほど、自己矛盾に満ちたものはないでしょう。
他の生き物にはまったくと言っていいほど自己矛盾はありませんが、人間は自己矛盾の塊のような生き物なのです。
しかもそのことにまったく気づいていない性質の悪い面を持っており、それが時には、他の生き物や自然、宇宙に大きな迷惑をかけておるのです。
ひとりひとりになればわかっているのに、人間社会の中のひとりになるとその自己矛盾にさえ気づかずに生きているわたしたちであるのです。
努力するということは、人間社会の中にいながらにして、ひとりの自分を見つめ続けることに外ならないのです。
従って、努力という言葉の響きに苦痛感を持つわけです。
その苦痛感とは、自己矛盾を是正する軋みの音なのです。
やりたいこと。やらなければならないこと。はわかっているのだが、できない。
この自己矛盾が生み出す軋みの音。
人間の悩み、苦悩、不安感の大きな原因が、この軋みの音に対する恐怖観念であることに気がつかなければなりません。
わたしたち人間は死の恐怖を持っているのではなく、生きていないことに対する恐怖を持っていると以前申しました。
日々是好日の想いで生きていない、つまり、『今、ここ』を生きていない自己矛盾の複数の「私」が起こす軋みの音に怯えているだけで、『今、ここ』の努力を怠って明日に先伸ばししてきた結果、明日のない死に直面して怯えるのです。
まさに、死への旅に出発する汽車に無理やり乗せられて、発車する汽車の鉄の車輪の軋む音に怯えているのです。
この軋む音に対する恐怖から逃れる唯一の道が努力することに外ならないわけですが、自己矛盾に気がついていないわたしたち凡人は、意識と無意識の狭間に生きていて、右往左往しておるのです。
努力するということは、意識と無意識という振り子の両極端を右往左往することから、振り子は決して真中に止まることはないけれども、真中に極力近づけるようにバランスを取る作業であることに外ならないのです。
真中に止まるということはないけれども、真中に限りなく近いところを目指すことが、自己矛盾という悪循環の流れを反転させる作業なのです。
ゴールのない永遠の道を一歩一歩進んでいく作業こそ、やりたいこと、やらなければならないことであり、それをわかっていてもできない自分が常にいる。
尊敬できる人は、それを淡々とやっているだけなのです。
そして、尊敬の念はやはり波動エネルギーのひとつですから、まわりに影響する力つまり伝染性があります。
妬み、嫉妬、といった念も波動エネルギーのひとつで、やはり伝染性があります。
尊敬の念という波動ネネルギーを持った国民なのか、妬み、嫉妬の念を持った国民なのか、国の幸福・不幸は、このふたつの念が生み出す結果であることを忘れてはなりません。