Chapter 333 あぁ?!そして消えてゆく

国の在り方を問う前に、自分の在り方を先ず自分に問うことがすべての基本です。
尊敬される国民である前に、自分を尊敬できる自分であることがすべての基本です。
家庭があり、社会があり、国家があり、地球があり、宇宙がある前に、自分があることを認識することがすべての基本です。
わたしたちがお互いに共通の場だと思っている社会というものは、自分独りだけの人生劇場の舞台にある小道具のひとつである背景画面に過ぎないことを先ず知ることです。
背景画面を、よくよく目を凝らして見つめてみると、自分の姿はないのです。
テレビや映画を鑑賞している自分は、テレビや映画には出演していないから、裏舞台つまり事の成り行きを知らなくて、観ることができる。
テレビや映画に出演している自分なら、裏舞台つまり事の成り行きを知っているので、観る気がしない。
夢の中に自分も参加していると、今でも思い込んでいる人たちがいるようです。
余程、自己客観視する力が欠けている人たちだと思うのですが、テレビや映画を観て、その場面の中に自分が出演していると思い込んでいるのと同じことがわからないのです。
もし、自分が出演しているなら、その内容つまり事の成り行きをすべて知っている筈です。
出演している人間には、主演であろうが助演であろうが脇役であろうが、通行人であろうが、出演者全員に台本は配られているのです。
夢の中に参加していると思い込んでいる方は、台本もなしで参加しているのでしょうか。
台本を持っているなら、夢の内容はすべて承知の筈です。
夢という映像を鑑賞している観察者と、映像に登場する被観察者との違いを、わたしたちは、すべての人生において混同しているのです。
観察者と被観察者。
観察者こそ独りだけの自分であり、被観察者こそ、家庭であり、社会であり、国家であり、地球であり、宇宙であり、自分のまわりのものすべてなのです。
自己客観視するということは、自分は映画の鑑賞者(観察者)に過ぎないのであって、映画に出演している被観察者ではないのを自覚することを言うのです。
夢はその真理を教えてくれているのです。
夢から目を醒めるたびに、今のは夢だったと自覚させてくれるのです。
人生には、3分の1の眠りの人生と、3分の2の覚醒の人生という二通りあることを夢が教えてくれているのです。
悟りとは大袈裟なことではなく、毎日眠りから醒めているように日常茶飯事の出来事であるのです。
せっかくの覚醒なのに、目が醒めていても意識を眠らせているわたしたちは、眠っていることさえも自覚していないのです。
これほどに無自覚な生き物は他にはいません。
「殺すな!殺せば罪人だ!」と騒いでは、殺しを日常茶飯事のように行っている人間。
作り笑いをして正常を装っては、内心で狂気の想いを巡らしている人間。
本当に正常な想いを殆ど巡らすことなく人生を送っている人間。
正常な想いこそ、愛情であることを知っていない人間。
愛情の実態を知らずに愛していると思う人間。
身内だけに愛情を注ぐ愛のない人間。
結局は自分を愛せない人間。
自分は自分でない人間。
そんな社会人間。
地獄が人間。
地獄。
?。
・。
あぁ?!
そして消えてゆく。