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Chapter 334 病気の実体 自分が消えて行く。 死とは自己の消滅であり、真の悟りであると言えるでしょう。 自己の消滅とは全体の体感に外ならないわけで、従って死とは全体の体感であると言っていいでしょう。 結局の処、わたしたち人間だけが愚図愚図悩んでおるのは、全体を体感していないからであって、卑小な自己に拘る結果であると言えます。 従って、「自分が、自分が・・・」という想いが、自分の内に湧き上がってくる限り、人間は悩み続けることになるのです。 眠りの中でしか夢を観ることのできないのは、卑小な自分に拘っているからで、全体を体感することが出来れば、眠りの中だけの夢ではなくて、目が醒めている間も夢を観ていることがわかり、逆に言えば、眠りの中でも、目が醒めている間の所謂現実の世界が展開されていることもわかるのです。 眠っている間に病気が進展することがよくあります。 冬になると風邪をひくのは殆どが眠っている間の出来事です。 生理学的には、身体のダイナミズムが低レベルにある睡眠状態につけ込んだ病原が暴れ出す結果発病するわけです。 従って、発病することを避けたいなら、眠らずに先ず体に侵入した病原を取り除くことをしなければなりません。 世間に出れば、いろいろな風邪の病原を持っている人がうじょうじょいるわけですから、その病原から逃れることは不可能です。 しかし、世間から家に戻ってきたら、すぐにうがいをしたり、手をよく洗うことによって病原を排除することはできるわけで、それをしないで身体のダイナミズムが低レベルになる睡眠状態に入るから、病原と自分の身体の自然治癒力との闘いの結果、治癒力が負けて晴れて発病とあいなるわけです。 悩みというものも精神の病気であって、悩みという病気を起こす病原が世間にはうじょうじょあって、毎日どっさり持ち帰ってくるのです。 会社で上司とうまくいかなったと言っては、悩みの病原を持ち帰る。 彼女や彼氏と喧嘩しては、悩みの病原を持ち帰る。 事業がうまく行かずに借金が膨らみ、倒産するかもしれないと悩む病原を持ち帰る。 うがいをするか、手をよく洗うといった病原を取り除く作業もしないで、眠りに就き、晴れて心配した通り発病する。 精神の病気も、肉体の病気も、メカニズムは全く同じですから、精神のうがいをすること、手をよく洗うことで悩みの発病を防ぐことはできるのです。 病原から逃れることは生ある限り不可能です。 しかし発病を防ぐことは可能です。 わたしたちの身体にはしょっちゅう精神の病原も、肉体の病原も侵入してきているのです。 風邪をひくのは、発病させるからです。 癌になるのは、発病させるからです。 悩むのは、発病させるからです。 発病する前に、病原を取り除く作業をすれば病気にはならないのです。 病気とは、病原が侵入することではなく、発病することなのですから、発病さえさせなければ、たとえ病原が身体内にあっても病気ではないのです。 癌細胞が身体内で発生していても、発病しなければ癌に冒されてはいないのです。 悩みの原因が精神内で発生していても、発病しなければ悩んではいないのです。 発病もしていないのに、自分から進んで病院に行って検査をする、そして無理やり病原を発見して、晴れて病気だと宣言され、薬を飲み、手術をして、本当に発病する。 検査を診断の主体に置いた現代西洋医学は、発病もしていないのに、無理やり発病させる、発病大量生産工場と化しているのです。 精神病の大量生産工場も誕生してきて、人類総精神病患者になる日も真近でしょう。 病原が身体に侵入するを以って病気というのではなく、発病することによって病気になったと考えるべきです。 発病することではじめて身体が治療をしてくれとシグナルを送るわけで、治療はそれからしても遅くはないのです。 悩みの原因は生きている限りいくらでも発生して身体の精神部分に侵入するけれど、むやみに検査をしていじくることさえしなければ、発病を防ぐことはできるのです。 情報が個人に大量に与えられる現代社会ですから、ますます病原の侵入を防ぐのは困難な時代になっています。 それだけに、発病させない心構えが非常に大事です。 それが出来るのは、医者でも宗教でもありません。 自分自身の努力によって得る知恵しか、発病を防ぐ方法はないのです。 四六時中夢を観ていることを認識することで、知恵の芽はその姿を現わしてくれるのです。 |