Chapter 343 金持ちの時代から徳持ちの時代へ

ちょうど2年前に「富裕論」という本を書きました。
ラスヴェガスに住んでいたのですが、ニューヨークのテロ事件が起こり、世の中が騒然としていた頃で、これから世の中が激変していくと感じたのが、「富裕論」を書かせたきっかけであったのです。
長い冷戦が終わり、それまでの西側世界と東側世界という区分けが外されて、世界がひとつになる、つまりグローバリゼーションが始まって10年余りが経過した頃の出来事だったのです。
青い色の水が入ったコップが西側世界。
赤い色の水が入ったコップが東側世界。
青い色の水は軽薄短小を追求したテクノロジーの粋を極めた軽水。
赤い色の水は依然重厚長大でテクノロジーよりも労働力を追求した重水。
この青い水と赤い水が、ひとつのコップに混ざり合った世界が冷戦後のグローバル化を目指した世界であるわけです。
ところが赤い水の量はとてつもなく多かった。
13億という中国の人口。
10億というインドの人口。
これだけでも世界の3分の1にあたるわけで、第二次大戦後ソ連と中国が進めてきた共産化の嵐によって世界のいわゆる第三世界の殆どが共産化されていった結果、赤い水はとてつもなく大量の重い水になってしまっていたのです。
青い水の西側世界は、冷戦に一応の勝利を収めたことで浮かれていた結果、膨大な赤い重い水を飲まされることによる影響を考えなかった。
政治的には勝利を勝ち取ったが、経済的には敗北したと言っていいでしょう。
歴史の皮肉と一言で片付けるには余りにも大きな誤算が起こっていたことを、青い水の西側世界は未だに感じ取っていないのです。
冷戦に勝利した筈なのに、よくよく見てみればひとつになった、つまりグローバル化した大きなコップの中の水は赤い色の重い水に変わっていたのです。
それがその後起こったデフレ世界という姿であったのです。
冷戦直後、西ドイツと東ドイツが統合された。
結果はドイツの経済は衰退−衰退というよりデフレ化−していった。
赤い重い水を大量に飲んだからです。
そして中国とインドという赤い重い水が更に加わった。
戦後奇跡的な経済成長を遂げた日本は、GDP(国民総生産)では世界第二位になり、第一位のアメリカと合わせて世界の40%を占めるに至ったが、今から200年前の19世紀初頭における世界のGDPは中国とインドでほぼ50%近くを占められていたのです。
19世紀および20世紀の間に欧米列強が産業革命によって台頭して、世界の様相は変わったのですが、それ以前の世界の経済の中心は圧倒的人口を誇る中国とインドだったことを忘れてはなりません。
経済行為における最大の要件が人口であることを物語っています。
少量で軽い青い水の資本主義社会が、大量で重い赤い水の共産主義社会に政治的には勝利したけれども、経済的にも勝利したと果たして言えるでしょうか。
デフレ化した世界が厳然と、わたしたちの目の前に姿を現わしているのです。
インフレ下の経済は散財の経済。
デフレ下の経済は倹約の経済。
散財の経済は自由競争の資本主義に適合していますが、倹約の経済は人間の情念を考慮しますと、強い意志による心の制御つまり統制・規制が必須であり自由競争主義とは相克するのです。
しかし現状の世界は、冷戦に勝利したアメリカを中心にますます自由競争社会を目指しており、その先には極少化された勝利者と極大化された敗北者という極端な差別化が進んで行く結果が待ち受けていることになるでしょう。
歴史の大きな分岐点にわたしたちは立っているのですが、目の前に拡がるふたつの道を凝視しなければなりません。
ひとつの道は、極端に拝金主義化された道。
もうひとつの道は、金力ではなく徳の力が認められた道。
しかしどちらの道に進むにしても、ひとつの共通点があります。
それは信用がお金よりも大事であるという価値観の社会が実現するということであります。
拝金主義が極端に進みますと貨幣の相対価値は下がり、それに反比例して信用の相対価値が上がってくるのです。
持ち過ぎると価値は下がってくるという自然の法則があるのです。
お金の無価値さを知るには、お金を持ち過ぎた者しかわからないのです。
結局の処、このふたつの道は短いバイパスのようなもので、その先では再びひとつの道に合流するのです。
合流した道での共通の価値観は信用つまり人間の真の価値としての徳力であるわけです。
本物の時代がやって来るのです。
「富裕論」のサブタイトルを、“金持ちの時代から徳持ちの時代へ”とした所以であります。
お金よりも徳がものを言う時代がいよいよ目の前にやって来たのです。