Chapter 347 『今、ここ』はすぐ傍

『今、ここ』を生きることが大事であることは、みなさん重々に承知されたと思うのですが、いざ実践となるとこれがなかなか難しいというジレンマに陥ります。
それは、わたしたちの長年の習い性に原因があるのです。
時間に深く関わっていることなのですが、わたしたちは時間と言うと、過去・現在・未来という三つの時制があると学校の国語や英語(外国語)で学んできました。
Past Tense・Present Tense・Future Tenseの三つです。
それに加えて、進行形・完了形と言ったものがあります。
過去形・過去進行形・過去完了形。
現在形・現在進行形・現在完了形。
未来形・未来進行形・未来完了形。
と言った具合です。
現在・過去・未来の区分けは明確なのですが、完了形や進行形になりますと、現在と過去、現在と未来の区分けが漠然としてきます。
言語学者に依りますと、「現在完了形」と「過去形」の定義は以下のようになるそうです。
話し手が「現在」の立場を離れることなく、過去のある出来事を時の流れから切り離し、単独の事実として確認するのが「現在完了形」。
話し手が「過去」の地平に身を移し、そこで起こっていく出来事を時の流れと共に視点を移行させつつ物語るのが「過去形」。
特にドイツ語では「現在完了形」は、「現在」とは時間的に隔たった遠い「過去」も表わすことができ、「過去」は、「過去形」でも「現在完了形」のどちらでも表現できる言語です。
また英語でも、「現在進行形」と「未来形」を同じように表現していて、たとえば、"I am going" と "I will go" を同じように使っています。
過去形・現在形・未来形は時制の基本形であって、日常では進行形と完了形で以って考えている節がある。
つまり「過去」は「現在完了形」、「未来」は「現在進行形」ですから、過去・現在・未来は、結局の処、現在完了形・現在・現在進行形で表現できるというわけです。
過去は現在の一部であり、未来も現在の一部であるなら、過去も現在も未来もなくて、すべては現在の一部であると捉えられる。
現在は過去の一部であり、未来の一部でもあるなら、過去と未来があるだけで、現在という時制はないとも捉えられる。
言語によって時間の捉え方が違う結果、考え方まで違ってくるのです。
どっちにしても、「現在」をどう捉えるかが問題です。
時間を流れと捉えるなら、過去と未来だけあって現在は時制には入らない。
時間を場として捉えるなら、過去も未来もなくてあるのは現在だけになる。
要するに、過去・現在・未来は共存できないのです。
現在だけか、過去・未来だけか、ふたつにひとつなのです。
普段のわたしたちは、明らかに過去・未来だけで生きていますから、現在は無いと言えるでしょう。
つまり、時間を流れと捉えている。
物理学や天文学では、この時間を、水平的な心理的時間の矢と言っているわけです。
一方、時間を場として捉えると現在しか無い。
物理学や天文学では、この時間を、虚時間と言っているわけです。
従って、『今、ここ』を生きることは、虚時間の中で生きることであって、わたしたちが普段思っている、過去・現在・未来−実際には過去と未来しかない−という心理的・水平的な時間の中で生きている限り不可能なのです。
『今、ここ』を生きるということは、時間を垂直的に生きるという意味であります。
現実の中で、わたしたちは過去・現在・未来というものをきっちりと区分けして言葉にしているにも拘らず、過去と未来だけでしか生きていない奇妙な生き物であることを知るだけでも、『今、ここ』に少しでも多く生きる手助けになるのではないでしょうか。
目が醒めている、所謂現実の世界では過去と未来しか生きていないわたしたちですが、眠りの中の夢の世界は、過去も未来もない、すべては現在この瞬間のまたその瞬間のまたその瞬間の・・・・・最後には現在も消えてしまう『今、ここ』の世界なのです。
そして、目が醒めている間でも、わたしたちは現に夢を観続けているのですから、『今、ここ』はすぐ傍にあると言えるでしょう。