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Chapter 350 勇気と臆病の差 夢の源泉は、悉く蓄積された記憶に因るものです。 悩みや苦悩の源泉も、悉く蓄積された記憶に因るものです。 夢から醒めた後、憂鬱な気分になるのは、悩みや苦悩の源泉と同じものが襲って来るからに外なりません。 今しがた目が醒める前まで観ていた夢をご紹介致しましょう。 肝っ玉母さんのような女性が現れて、わたしにビルの屋上から隣の屋上に飛び移れとそそのかすのです。 肝っ玉母さんのような女性が現れたのは、勇気と度胸が混在した、わたしの記憶の判断力の所産なのだと、夢に登場していると勘違いしている「私」が夢の中で推論しているのです。 そして勇気のない、度胸のからっきし無い典型が、肝っ玉母さんに対する、もうひとりの「私」なのです。 要するに、勇気の代表格が肝っ玉母さんであり、臆病の代表格が他ならぬ自分であるわけです。 夢のキャスティングは、主人公は大抵自分ではなくて−時折主人公になる夢もありますが−悪役が自分の場合が殆どです。 何百メートルもの高いビルの屋上から、1メートル四方程度しかない隣のビルの屋上に、肝っ玉母さんは笑いながら見事に飛び移るのです。 「ほれ!あんたもやらっしゃいな!」 何か九州弁のような感じで喋ります。 「ほれ!あんだもやらねえだか!」 東北弁ではなさそうです。 わたしが飛び移ろうとすると、何百メートルの高いビルが1メートル程度の高さに変わり、飛び移る隣のビルの屋上は何百メートル四方もある広大さなのです。 要するに、まったく危険な状況ではないと、夢は言いたいわけです。 ところが臆病の代表格であるわたしは、肛門の括約筋が痺れてしまって、金縛りに遭って身動きできないのです。 肝っ玉母さんは、わたしを嘲笑っているのです。 「勇気を発露するものには、何百メートルの高さも1メートルの低さに思え、1メートル四方の狭さも何百メートル四方の広さに思えるのよ!」 「臆病なものには、1メートルの低さも何百メートルの高さに思え、何百メートル四方の広さも1メートル四方の狭さに思えるのよ!」 そう言って、わたしを嘲笑っているところで夢から所謂現実の世界に舞台が変わりました。 夢から醒めて、肝っ玉母さんは、実の母であったことに気が付きました。 正直申しまして楽夢ではありませんでしたが、勇気と臆病が紙一重の違いだけで、大きな違いは心理面にあることを教えてくれた夢でありました。 |