Chapter 403 現実それは夢

人間の身体が、痛みに耐えることができる極限というものがあります。
極限状態を超えた痛みが続くと、気を失ってしまうか、死んでしまいます。
一種の自然治癒力の為せる業です。
身体が睡眠を要求するのも、一種の自然治癒力の為せる業だと考えると納得できることが多い。
気を失うということも、死ぬということも、眠ることに外ならないのです。
しかも、完全熟睡状態であることは間違いありません。
何故なら、気を失っている人間が、夢を観ていることはないからです。
気を失っていて、その間に夢を観ていて、そして気が戻ったら、“ああ、夢を観ていた!”という経験があるでしょうか。
それでは、気を失ったことにはならないでしょう。
気を失っている間は、完全熟睡状態と同じで、一瞬に過ぎ去ってしまいます。
眠りの本質とは、時空間からの超越に外ならないのですから、時空間の物理法則は通用しないのです。
眠りの本質が、死と同質である所以です。
わたしたちが生きている世界が、運動の光と音(喧騒)の宇宙であるのに対し、死んだら静止の暗闇と沈黙の宇宙に呑み込まれてしまう所以でもあります。
ブラックホールの事象の地平線(Event Horizon)内に一旦呑み込まれたら、わたしたちが住んでいる宇宙である時空間の物理法則はまったく通用しません。
気を失っている、熟睡状態というのは、事象の地平線上ぎりぎりの辺りをうろついている状態だと考えられます。
一旦、事象の地平線を超えたら、二度と戻ってくることはできません。
死とは、事象の地平線を超えることに外ならないのです。
光の速度は、物理学では(C)で表現されます。
わたしたちは、1秒間に地球を七周半するのが、光の速度だと教えられてきました。
つまり秒速30万km、時速10億8千万kmが光の速度ですが、(C)で表現されています。
Constant(一定)の(C)です。
何故、光の速度を一定だと言うのでしょうか。
それは、わたしたちが生きている運動の光と音(喧騒)の宇宙では、光以外のものの速度はすべて一定ではないからです。
ある人が時速20kmで走っています。
その人を立ち止って観ている人にとっは、走っている人の時速は20kmです。
その人と同じ方向に時速5kmで歩いている人にとっては、走っている人は時速15kmです。
その人と反対方向に時速5kmで歩いている人にとっては、走っている人の時速は25kmです。
運動の光と音(喧騒)の宇宙にいる限り、自分も含めてすべてのものが動いているので、自分という観測者の運動との相対性で相手の運動も決まってくるのですが、光だけは、観測者がどんな状態であっても、秒速30万km、時速10億8千万kmは変わらないのです。
立ち止まっている人も、ジャンボジェット機に乗っている人も、時速10万kmの宇宙船に乗っている人も、みんな光の速度は同じ秒速30万kmなのです。
だから光の速度を(C)としたのですが、これは運動の光と音(喧騒)の宇宙だけの話です。
事象の地平線を超えた、静止の暗闇と沈黙の世界では、この常識は通用しません。
死後の世界とは、わたしも経験したことはないので断言できませんが、多分事象の地平線を超えた世界ではないでしょうか。
気を失ったり、完全熟睡状態になるのは、事象の地平線上をぎりぎりで運動している状態ではないかと想像するのです。
つまり死の一瞥を経験できるゾーンではないかと思われます。
まさにぎりぎりの極限状態と言えるでしょう。
わたしたちの肉体と意識、つまり五感と「想い」が小休止を要求するのは、極限状態に陥った時であって、その時、事象の地平線上ぎりぎりの所をうろうろしているわけですから、余り長時間いるとそれこそ呑み込まれてしまい、お陀仏です。
それが熟睡時間の単位である1時間がmaxではないかと考えられます。
昼間の熟睡が10分程度であるのも合点がいきます。
やはり睡眠とは熟睡だけを以って定義した方がよい。
夢を観るのは目が醒めているからと定義した方がよい。
従って、昼間もわたしたちは夢を観ていると考えた方がよいでしょう。