Chapter 406 普段の運動

「普段の運動」では小休止は不要であって、「激しい運動」をしたあとだけ小休止が要るように、わたしたちの身体はできているようです。
生きる上においては、死を以って永遠の休止状態に入るまで、「普段の運動」をするだけで十分です。
太陽も、地球も、月も、そしてわたしたちの肉体もすべて、「普段の運動」を死ぬまで休むことなく続けているのです。
運動の光と音(喧騒)の宇宙は、ビッグバンによって、静止の暗闇と沈黙の宇宙から誕生しました。
無から有が誕生したと言っていいでしょう。
すべてが一様なものから、すべてが多様なものへ変化したと言っていいでしょう。
結晶化された世界から、混沌の世界に変化したと言ってもいいでしょう。
秩序ある世界から、無秩序な世界に変化したと言ってもいいでしょう。
時間のない世界から、時間のある世界に変化したと言ってもいいでしょう。
死一如の世界から、生と死二元の世界に変化したと言ってもいいでしょう。
静止の世界から、運動の世界つまり円回帰運動の世界に変化したわけです。
ここではっきりしておかなければならないことがあります。
運動ということの定義であります。
わたしたちが存在している運動の世界とは円回帰運動の世界であるということであります。
つまり小休止の要らない「普段の運動」とは、円回帰運動のことを意味しているのです。
太陽や、地球や、月や、わたしたちの肉体はすべて、円回帰運動をしているから小休止をしなくても永遠の運動を続けることができるのです。
有限の空間を無限の運動をすることこそ円回帰運動の本質であり、運動の光と音(喧騒)の宇宙の果ての定義になる真理がここにあるのです。
宇宙に果てがあるのなら、果ての向こうは何であるのか。
神が天地創造者であるならば、神を創造した者は一体誰であるのか。
こういった問いかけに対する答えこそ、円回帰運動による有限の世界での無限の運動に凝縮されていると言っていいでしょう。
「普段の運動」こそ無限の運動であるわけです。
睡眠を、「普段の運動」の一環と捉えるか、「激しい運動」による小休止と捉えるか。
そのためには激しい運動の実態を詳細に知る必要がありそうです。
生きているということは休息のないことです。
休息ということは死を意味しているのです。
休息を必要とする人生は生ある人生ではありません。
太陽がちょっとでも休息したら、我々地球は即、死にます。
地球がちょっとでも休息したら、我々人間は即、死にます。
我々の息がちょっとでも休息したら、我々は即、死にます。
だから休息と言うのです。
円回帰運動とは始点と終点が同じ場所である運動です。
吸う息と吐く息の合間こそ始点であり終点であるのです。
休息の意義が、そして「普段の運動」と「激しい運動」の違いが、ここに潜んでいるようです。