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Chapter 409 ON/OFFの世界観 地球の自転運動と公転運動が、「普段の運動」の原点であり、わたしたちが時間と称しているものの原点でもあります。 時間というものを、これまでは普遍的なものと捉えてきたが、実は固有的なものであるのです。 わたしたちの住んでいる150億光年の、運動の光と音(喧騒)の宇宙には、それなりの固有の時間があり、それぞれの星雲には、それなりの固有の時間があり、それぞれの恒星には、それなりの固有の時間があり、太陽には、太陽なりの固有の時間があり、それぞれの太陽系惑星には、それなりの固有の時間があり、地球には、地球なりの固有の時間があり、わたしたちひとりひとりには、それなりの固有の時間がある。 もちろん全体は、それを構成している部分を包含しているのですから、そこに相対性が働くのは当然です。 相対論とは、宇宙のマクロの世界を論じている。 量子論とは、宇宙のミクロの世界を論じている。 マクロの宇宙とミクロの宇宙の間に、わたしたち人間は存在し得ているのですから、わたしたちにも相対論と量子論が当てはまるのは当然です。 従って、わたしたち人間をより理解しようとすれば、量子論と相対論の理解なしではできません。 これらの学問は、特殊な学者たちのものだけではないのです。 ギリシャ時代は、すべての学問が哲学でした。 つまり人間を知る学問であったのです。 ところが現代では、哲学すら特殊な学者たちのものになってしまって、わたしたち一般のものではなくなってしまった。 哲学とは人間を知ることであり、学問とは如何に生きるかを知ることです。 哲学とは学問、つまり人間を知ることによって、人間が如何に生きるかを知るのです。相対論も量子論も人間を知るための学問のひとつであることを忘れてはなりません。 何故ならば、他の生き物は相対論も量子論のことも知りませんが、如何に生きるかは知っているのです。 それを恰かも、宇宙全体の真理を探求するかの如く論ずるのは人間の傲慢さ以外の何者でもありません。 相対論も量子論も、所詮は人間学つまり哲学のひとつに過ぎないことを知るべきでしょう。 相対論は、三次元空間の世界と四次元時空間の世界の果て、つまり世界の終わりを探求する学問と言っていいでしょう。 量子論は、素粒子の世界の探求、つまり世界の始まりを探求する学問と言っていいでしょう。 わたしたち人間にも、始まりと終わりがあるのか。 それは一重に時間に掛かっていることは間違いないのです。 一瞬・一生と一日・一年にそのヒントが隠されているのではないかと考えると、すべての問題が符号する。 わたしたち生きている人間は、一日・一年の岸に存在するもの。 一瞬・一生はその対岸に存在するもの。 その両岸に挟まれて流れている川が時間なのかも知れません。 一日・一年の岸で、時間を感じるということは、一瞬・一生の岸に手は届かないが、観ることはできるわけですから、一瞬・一生を観ながら、一日・一年の流れを感ずることです。 そうしますと、「普段の運動」と「激しい運動」が、ON/OFFのスィッチで切り替わる様が見えてくるのです。 夢と現実とは、相対論と量子論がON/OFFのスィッチで切り替わる世界観なのです。 |