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Chapter 413 真の健康 肉体と意識は、年中無休で「普段の運動」をしています。 肉体の個別化された認識器官が五感であり、意識の個別化された認識器官が「想い」でありますが、これらも基本的には年中無休で「普段の運動」をしています。 運動の光と音(喧騒)の宇宙に存在するものはすべて、つまり宇宙全体も個別化された部分も「普段の運動」をしています。 ビッグバンによって誕生して以来、運動の光と音(喧騒)の宇宙は、およそ150億年間、「普段の運動」を年中無休で続けており、天の川と呼ばれている、わたしたち太陽系惑星群が存在する銀河星雲は、およそ50億年間、「普段の運動」を年中無休で続けており、地球は、およそ46億年間、「普段の運動」を年中無休で続けており、わたしたち生命体は、およそ36億年間、「普段の運動」を年中無休で続けておる中で、わたしという個別の肉体と意識は、自己の年齢つまり57年間、「普段の運動」を年中無休で続けているのです。 つまり、命(寿命)とは生命エネルギーによる「普段の運動」の稼動期間だとも言えます。 使命とは命を使うという意味ですが、まさに生命エネルギーを使うことを使命というわけで、使命を果たしているということは「普段の運動」をしていることに外ならないのであって、そのことを認識している、つまり五感と第六感である「想い」が機能していることによって使命を知ったことになるのです。 いまだ使命を認識していないという方は、自己の五感と「想い」を自覚していないことに外ならないのであって、決して世の中のためになるような役割を使命だと言うわけではないのです。 自己に目覚めることが、使命を認識したことであると言えるでしょう。 自己に目覚めていないということは、自己の独自のユニークな基準がないわけです。 この世的成功ということは、他者との関係においての、この世的成功であることを知らなければなりません。 つまり自己の独自のユニークな基準を持っていない人たちのことを言うのですから、彼らが使命を認識することは不可能なのです。 この世的成功の基準から離れて、つまり俗世から引退することでしか、自己の独自のユニークな基準が命に関わっている使命であることに気がつかないのです。 彼らの末路は必ず、使命を追い求めて求められない哀れな人生になるのです。 自己の独自のユニークな基準に基づいて生きることを、「普段の運動」をしていると言ってもいいでしょう。 自己の独自のユニークな基準を持たずに生きることを、「激しい運動」をしていると言っていいでしょう。 毎日三度の食事をすることによって生きていると思っている人は、「激しい運動」をしているのです。 「激しい運動」をすればするほど、「普段の運動」の期間、つまり命(寿命)は短くなります。 西洋医学では、一日およそ1500キロカロリー程度の食事で十分だと教えていますが、「普段の運動」が命に関わる運動であるのに対し、「激しい運動」は余分な運動であり、それが1500キロカロリーという喫水線であると言っているのです。 生命エネルギーに基づいて運動しているのが「普段の運動」であり、肉体の各器官に生命エネルギーが伝達されることによって「激しい運動」に変位すると言ってもいいでしょう。 病気−発病−とは、生命エネルギーが「普段の運動」から「激しい運動」に変位した結果に外ならないのです。 西洋医学というのは、飽くまで「激しい運動」を基準にしたもの、つまり異常な状態に焦点を合わせた医術であって、病気の為の医術であり、健康の為の医術ではないのです。 健康を基準にするためには、「普段の運動」の明確な基準を持たなければなりません。 一日1500キロカロリーの食事つまりエネルギーを採ることの知識よりも、一日に必要な「普段の運動」のエネルギー分析が必要なのです。 そのためには、肉体と意識の個別化された認識器官である、五感と「想い」も年中無休にしておかなければならないのです。 |