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Chapter 414 どんでん返しの人生観 よく眠れるのは、「激しい運動」を多くした結果であるわけで、その延長線上には不測の事態つまり心身の病気が待ち受けていることを忘れてはなりません。 心身共に健康状態であれば、眠気を催すことはありません。 つまり「普段の運動」を続けている限り、睡眠は必要ないのです。 肉体だけの「激しい運動」をすれば、五感の小休止であるNon-Rem睡眠つまり熟睡を必要とする。 意識だけの「激しい運動」をすれば、第六感である「想い」の小休止であるRem睡眠つまり夢を必要とする。 夢を観ている状態というのは、五感が醒めてはいるが、肉体が醒めている昼間ほど強く醒めていない分だけ、「想い」特に核(コアー)の部分が醒めている結果であると申しました。 逆に言えば、夢を観るのは、「想い」が完全に醒めているからではなくて、「想い」が一部眠っていることに因るものです。 真の健康状態つまり本来のわたしたちというのは、「普段の運動」を続けている状態であって、そのためには、肉体と意識の個別化された認識器官である、五感と「想い」も年中無休にしておかなければならないのです。 つまり、五感も第六感である「想い」も「普段の運動」を続けている状態が常態であるのです。 常態に対して不測の事態があって、それが「激しい運動」が原因になり、その結果五感や第六感である「想い」が一部小休止せざるを得なくなる。 それが睡眠の要求です。 肉体を小休止せざるを得ないのがNon-Rem睡眠の熟睡であって、視覚を中心に生きているわたしたち人間は、少なくとも視覚だけは小休止するわけです−もっと「激しい運動」をすると他の五感も小休止せざるを得なくなる場合もある−。 意識を小休止せざるを得ないのが、Rem睡眠の夢を観ている睡眠であって、昼間起きている間つまり五感が強く作用している中では、「想い」の核(コアー)の部分が沈んで−小休止して−いて、どちらかと言うと、周辺の部分だけが上がって−働いて−いる結果、第六感である「想い」の周辺の部分の小休止が必要となるわけです。 「想い」の核(コアー)の部分が周辺の部分よりもより醒めた状態が夢の状態であり、周辺の部分が核(コアー)の部分よりもより醒めた状態が所謂現実の状態であるのです。 肉体の覚醒度が五感の「普段の運動」と「激しい運動」の相関関係の結果である小休止の要求であるのに対し、意識の覚醒度が第六感である「想い」の「普段の運動」と「激しい運動」の相関関係の結果である小休止の要求であるのです。 肉体と意識が常態であれば、五感も「想い」も年中無休です。 肉体と意識が不測の事態になれば、五感若しくは「想い」が小休止を要求する、それが睡眠であるわけです。 肉体と意識が死を迎えれば、五感も「想い」も永遠の休止状態に入るのです。 生きているということは、心臓が年中無休で働き続けているように、肉体(五感)と意識(第六感である「想い」)が「普段の運動」を続けている常態であることを念頭に置くことです。 しかしそれは、わたしたちの人生観の根本をどんでん返ししない限り無理なようです。 |