Chapter 419 意識して眠りに就く

一日をふたつの目盛りで計る人生を送る羽目になっている原因が、夜眠りに就く瞬間(とき)にあり、その結果、夢を観る始まりを認識できなくなり、朝目が醒めた瞬間(とき)、夢の終わりを迎えることによって認識できているのです。
つまり一日を、醒めた人生と眠った人生のふたつの人生に分けているスィッチの切り替え時期は、夜眠りに就く瞬間(とき)と、Non-Rem睡眠である熟睡から、Rem睡眠である夢の中の眠りへギアーチェンジされる瞬間(とき)であるわけです。
肉体が個別化された五感と、意識が個別化された「想い」が共に働いている、つまり「普段の運動」をしていることが醒めていることに外ならないのですから、夢を観ているRem睡眠は、眠っているとは言えないのであって、「想い」の一部分つまり周辺の部分が小休止しているのに過ぎないのです。
逆に、「想い」の核(コアー)の部分が小休止しているのが、所謂現実と称している昼間の目が醒めたつまり起きている状態であって、結局の処、起きていても完全に醒めた状態ではないのが、普段のわたしたちです。
一方、五感も「想い」も両方眠っているのは、熟睡のNon-Rem睡眠の間だけであり、視覚だけが眠っているだけの場合が圧倒的に多いわたしたち人間では、完全ではないが睡眠状態であると言えます。
つまりスィッチの切り替え時期は、夜眠りに就く瞬間(とき)と、熟睡から夢を観始める時期であるのですが、熟睡に入ったが最後、記憶が断絶されるために、熟睡から醒める時期を認識できないで、夢が終わったことで認識しているわけです。
そうしますと、一体どういうメカニズムで熟睡から醒めることができるのでしょうか。
そのヒントは、一体どういうメカニズムで熟睡状態に入っているのかを知ることにあるのではないでしょうか。
何故なら、それらは熟睡への出入り口であるからです。
夜眠りに就く瞬間(とき)が、熟睡状態への入り口であり、熟睡から醒める瞬間(とき)が、熟睡状態からの出口であります。
熟睡状態の出入り口が瞬間(とき)であるということは、一瞬のときであり、一日の時間ではないことに注目しなければなりません。
一瞬は一生と同じ岸にいます。
一日と一年は同じ岸にいます。
一瞬・一生の岸と一日・一年の岸とは向かい合っている、つまり対岸にあります。
そしてその間を流れているのが時間という川です。
一瞬の中での五感と「想い」の出入り口が熟睡を挟んでいるのに対し、一生の中での肉体と意識の出入り口が死であると言えます。
一瞬の死と、一生の死。
生と死が一瞬と一生においてあり、一瞬は『今、ここ』という、一生という四次元時空間世界の断面である三次元空間での生と死であり、一生はその四次元時空間での生と死であると言えるのではないでしょうか。
やはり生と死は表裏一体であると言えますが、わたしたちは一日・一年という岸の方にいる、つまり過去と未来に縛られて生きていますから、生と死の一体感を自覚できないのです。
夜眠りに就く瞬間(とき)というのは、一瞬における死への入り口です。
一瞬だから死から生還できるのです。
つまり一瞥であり、疑似体験であると言えるでしょう。
意識して、夜眠りに就くことが極めて大事である所以です。