Chapter 420 価値観の歴史

世界に63億もの人間がいますと、それぞれの価値観も63億種類あることになります。
それを国家で括りますと、およそ200種類になります。
それを民族で括りますと、およそ2000から5000種類になります。
それを言語で括りますと、およそ5000種類になります。
民族の数が2000から5000とバラツキが多いのは、言語に関係があります。
大阪弁を喋る日本人と江戸っ子弁を喋る日本人を同じ日本人として括るか括らないかで、2000から5000までのバラツキになるわけです。
1989年に東西の冷戦が終結するまでの20世紀は、それをイデオロギーで括っていた結果、63億種類の価値観を2種類の価値観に括っていたわけです。
あの巨大な人口を誇る中国も、2種類のイデオロギーで世界が括られていた頃は、国民の表情はまるで鉄仮面のようでありましたが、冷戦が終結してイデオロギーという縄を解かれると、実に多種多様な表情を表す中国人に変容しました。
しかし依然、漢族を筆頭に、朝鮮族・・・56種類の民族で括られていて、それだけの価値観が存在しているわけです。
新しい時代では、人間の価値観つまり人生観は、国家という価値観から個人という価値観に大きく変わっていくであろうと申しました。
その狭間で、民族・言語で括られた価値観と国家若しくはイデオロギーで括られた価値観との軋轢・相克が、20世紀に繰り広げられた戦争であり、イラク戦争は、民族・言語で括られた価値観を主張するアラブ諸国と、国家・イデオロギーで括られた価値観を主張するアメリカの戦いになっていますが、その背景には、イスラム教とキリスト教との間の軋轢・相克が潜んでおり、イスラエル・パレスチナ問題に根があるわけです。
価値観とはマクロの世界では水平的拡がりを展開し、ミクロの世界では垂直的拡がりを展開するようです。
水平的拡がりとは、地球規模であり、世界規模であり、国家規模であり、領土規模であり、地域規模での、いわゆる大きさの違いでの括られ方です。
肉体レベルであり、五感レベルでの括られ方と言っていいでしょう。
垂直的拡がりとは、動物模様であり、人間模様であり、人種・民族模様であり、言語模様であり、イデオロギー模様であり、個人模様での、いわゆる高さの違いでの括られ方です。
意識レベルであり、第六感である「想い」レベルでの括られ方と言ってもいいでしょう。
地球には、地球という星である肉体と、地球の「想い」である意識とがあるように、わたしたち人間にも、肉体と意識があり、それを五感と「想い」で括られているのが、個人の規模と模様であるわけです。
人類の歴史は、水平的拡がりの中での価値観つまり規模という大きさの違いと、垂直的拡がりの中での価値観つまり模様という高さの違いによる軋轢・相克を繰り返してきた歴史だと言っても過言ではありません。
東西冷戦は、水面下では欧米帝国主義の覇権争いが見え隠れしましたが、表面的には資本主義と共産主義というイデオロギーの軋轢・相克であったわけです。
つまり水平的拡がりの価値観と垂直的拡がりの価値観が交錯する人類の軋轢・相克だったと言えるのです。
これは何を意味しているかと言いますと、冒頭で申しましたように、新しい時代では、人間の価値観つまり人生観は、国家という価値観から個人という価値観に大きく変わっていくであろうということであり、その狭間で東西冷戦、イラク戦争、イスラエル・パレスチナ紛争が横たわっているということであります。
結局の処、東西冷戦もイラク戦争もイスラエル・パレスチナ紛争も、個人という価値観へ世界が変容して行く過程での一里塚であるということです。
個人という価値観に世界が変容しない限り、こういった問題は解決しないとも言えます。
人生観の革命とは、水平的拡がりの中での価値観と、垂直的拡がりの中での価値観との交差点にある終着駅であり、まったく新しい価値観の始発駅でもあると言えるでしょう。
いよいよ新しい価値観の構築が必要な時代に入ってきたようであります。